ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

分からなければすぐ答を見よう (2002/02/10)


  今回は、内藤のポリシーについて話してみたい。内藤は20代をほとんど今から考えると無駄な努力に費やした。もちろんそうした努力は結果的に役に立ってるんだが、とりあえず直接的には無駄になった部分が多い。そこで内藤が遠回りした理由なのだが、それは内藤の頑固さであると思う。自分で考えるということに「こだわり」があった。内藤は子供の頃より理解力が高かったために逆にそういうことが自信になって「こだわって」しまったわけだ。


  しかし、今はっきり言えるのは、「分からなければすぐ答えを見て考える」と格段に早いということなのである。とにかく、まず「答えを見る」。そしてそれから「考える」のである。こういうことを20歳過ぎたころに少し気がついた。で、答えを見てから考えるようにしてみた。そうするとうまく物事が行くのだ。受験勉強というジャンルにおいてはそれは常識であることに後から知った。


  世の中では、よく、安直に答えを見てたら思考力が育たないとか言われたりする。昔の内藤もそういうものを読んで、そうだそうだ、考えるのがエライのだとか思っていたりしたが、違う。答えを見てから、それがどうして正解なのか考えることで思考力が育つのである。むしろ、一般的に正解とされていることに自分自身を合わせて調教していくことが出来るので、要領がよくなるのである。世の中で生きていく場合、この手の「要領」が必要なのだ。そういうことを20 代の初めの頃にやっと気がついた。いくら自力で考えても、その結論が世の中で正解とされていることとは外れていては冷や飯を食わされるのである。つまり主流から外れた答えを導き出す思考力というのはよほどのことがないとカネにならないのである。


  そして、「答えを見てから考える」というスタイルは何にでも応用できることに気がついた。仕事などでは、まず先輩の言うことに120%従う。さらに、何でも教えを乞うて教えてもらう。そういうときに可愛げがあることが必要ということも学んだ。さらに、先輩が効率的に美しく仕事をしていたら、見てマネをする。決して自主開発なんかしない。まずはマネ。徹底してマネ。カンペキにマネできるようになったら、自分でもっと良い方法を考えたりするが、とにかく最初は、先輩のマネから入って全てにおいてコピーする。これが最短ルートであることがわかった。だから内藤は他人の真似をするのが好きである。じっと見てるからマネしたくなるのだ。


  さらに、商売で、どうしたらいいか、と考えることがある。そういうとき、先輩からかなり学び尽くしたら、次は本から吸収すべきであることが分かった。本は誰にでも24時間365日開かれているからである。内藤はビジネス書を読み漁った。ダメな本もあるが、著者が人生で得たノウハウを惜しげもなく提供している本も数多い。数多く読むうちに、単なる評論家が適当にデッチあげた本とプロが自分のノウハウを提供している本の区別がちょっと読むだけでつくようになった。


  本に書いてあるノウハウはことごとくマネをする。実際にやってみるのである。そしていいものだけを身体に叩き込む。そして、そのノウハウの背景にある思想を考えて自分のモノにする。悩んだら、同じような事例を探して、その事例ではどのように考えてどのように対処したのかを読んで、自分の事例と比較して利用できないかどうか徹底して考えた。とにかく悩んだら、独りで考えていないで、本から似たような事例を探して、使えないかどうか考えるというものだった。これを繰り返していくと驚くほどノウハウが短期間で習得できた。考えれば当たり前なのだ。優れた知見やノウハウを獲得した著者が、全力を尽くして公開してくれているものからダイレクトに吸収しているのだから。


  というふうに、内藤は20歳を過ぎる頃に、答えを見てから考えればいいんだ、と知ってからどのような場合もその方針を貫いてきた。 23歳くらいからは、商売で役に立ちそうな本は読み漁っておく、ということもした。いま思うのだが、本当にそういう考え方は正解なのだと思う。分からなければ、うまくやってる人を観察してノウハウを盗めばいいのだ。もしくは、素直に教えてもらえばいいのだ。それが近道なのだ。考えるのはノウハウを取得後でいいのだ。どうしてそうするのか、を徹底して考えることで他に応用が利くノウハウが手に入る。


  だから、答えをすぐ見ると安直になってよくありません、人生はそんなに甘くありません、なんて言う妄言を見たりするとムカっとするのである。答えを暗記するのであれば無駄だが、先に答えを見てそれがどうして正解なのか考えるというのは素晴らしく優れた訓練なのだ。そこから、もっとうまくやる方法はないか、とか新しいアイディアに繋がってくる。思考の叩き台として、他人の優れたノウハウを用いるのは最善だと思う。なまじゼロから考えていたら、世間で一般化しているノウハウの水準までさえも到達できない。時間と労力の無駄である。


  だから、とにかく迷ったり、困ったり、悩みを抱えたら、答え、もしくは、似た事例を探せ、なのである。そして見つけたら、それがどうして答えなのか、正しいのか考えるのである。似た事例であれば、それが自分のケースに応用できないか考えるのである。そのときに徹底して考えると後々役に立つ。過去の人の努力の結果をうまく利用させてもらうのである。時代遅れのノウハウで一所懸命努力しても結果はしょーもない。それは旧式の生産設備で生産されるクオリティの低い生産物と同じで市場価値は低いのである。


  内藤は結果がすべて、という考えなのだが、世の中は結果だけじゃないだろう、という考える人もいると思う。実は内藤も結果に至るプロセスは重視している。優れた結果を引き出すのは優れたプロセスだと思っているからだ。だから優れた結果を得るためにはまずプロセスを改善することを考える。そのプロセス改善は、外部から優れたノウハウの導入なのである。自分ひとりの頭で出来ることには限りがある。内藤は外部資源に頼るのである。何しろ今の世の中には事実上無料で手に入るといってもよい低価格で素晴らしいノウハウを満載した本が大量に手に入る時代なのだ。たかだか年に数十万円書籍代がかかろうと、得られるものと比較すればタダみたいなものだと思う。プロセス改善のためにも、答えを見てから考える、ということが必要なのである。


  ゆえに、内藤は毎日、他人の動作を見て少しでもいいものがあったらマネをする。場合によっては直接頼んで教えてもらう。そして毎日、本を読み漁って、使えそうな事例やノウハウの取得に励んでいる。知識やノウハウは借りればいいと割り切れば、無限の資源がわれわれの目の前には広がっている。これを利用しない手はない。これが「要領」ということなのだと31歳になってつくづく思うのである。

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  上で書いたことに補足が必要であることに気がついた。つまり、答を見てから考えるべきなんだが、安直に答の答の部分だけを見てその場を済ますのはするな、ということなのである。


  答を見たら、かならずその答の周辺部もまとめて覚えろ、ということである。数学の解きかたを見たら、解きかたすべてを覚えて、考えなくてはいけない。答の数字だけ合わせていてはいけないのだ。歴史の勉強であれば、わからない知識があったら、その知識のある教科書のページはすべて覚えるべきである。これは、内藤にとっては当たり前なので書かなかったが、答だけを安直に覚えるバカなコがいるらしいので書いておくことにする。しかもバカなコといっても、本当に知能が低いコじゃなくて、賢ぶったコね。


  例えば、仕事のやり方にしても、仕事が出来ないヤツは分からなかったことのその部分だけフンフンと聞いて「分かりました」と分かったフリをしてその場をそれで済ます。よくあるよね。でもこれじゃダメなのだ。そういうヤツは次は別の個所、前回の周辺部でも同様にミスをする、もしくは質の低い仕事をする。つまりは全然分かっていないのだ。


  簡単な話、一箇所でも不具合が見つかったら、その周辺の知識すべてを洗いなおす必要がある。「俺は間違ってたんだー」と心を入れ替えて、その周辺部の知識丸ごと総入れ替えする必要がある。内藤が上で「全てをコピーする」といったのはそういうことなのである。


  答を見ろというのは、「最初は何から何まで真似をしろ」ということなのだ。つまり、出来ないヤツに欠けているのは単発的な知識だけではないのだ。思想的に劣っているのである。行動や判断のベースとなる思想が劣っているのである。ベースとなる思想の質が低いから、自分の中に質の悪い作業手順や質の悪い思考があるのに気がつかないのである。だからこそ、自らの悪い点に気がついたら、出来の良い先輩のやることなすこと一挙手一投足まで観察して全部マネしろ、と言っているのである。型から入ることによって、思想が分かるようになる。我々の行動や思考のクオリティは、個別の知識の有無ではなく、体系化された思考である思想の質に左右されるのだ。


  そしてこれは気取って生きていては決して出来ないことなのだ。学んで成長していくためには気取っていてダメなのである。気取っているというのは、すなわち、現在の自分がソコソコのもの、と示す動作なのであるが、現在がクソで、全部ご破算にして始めなければいけないレベルなのに、気取っていてはぜんぜんご破算に出来ないのである。自分自身の行動や思想を磨き上げていくには、ゼロからやり直す気持ちでいなければいけないのである。

 
  知識は単に知っておけばよい。単発知識は必要に応じて人からでも図書館からでもインターネットからでも借りてくればよろしい。それよりも自分自身の行動や思考のクオリティを上げるには、優れた思想を理解して自分の物にすることが必要なのである。そして、思想を理解するには最初はすべてマネしてみることから入るのが近道なのだ。

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