ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

商売の不思議 (2004年6月13日)


  内藤は商業には神秘があると思うのです。


  もちろんどんな仕事にも神秘は隠されているに違いありません。とはいえ、誰もが仕事に神秘を感じるわけでもないのです。そういう意味では仕事に神秘を感じたりすることが出来るのはしあわせな事だと思います。


  例えば内藤は物理化学は好きだし得意でしたが、かといってモノを作るときにワクワク感は感じなかったのです。プラモデルを作ることは楽しくなくて、それを眺めて想像するほうが好きというような。ところが、モノづくりが好きな人はそこのプロセスに神秘を感じるのですね。人間にはそれぞれ向き不向きというものがあります。それをときどき天職とか言ったりします。天職が飽きないのは、そこに神秘を感じるからです。つまり、楽しい神秘的な仕事があるのではなくて、人によってそこに神秘を見い出すから天職なのです。


  そういうわけで、内藤は商業に惹かれのです。とはいえ、最初からこんなに明確に意識したわけではありませんでした。内藤の育った家庭はサラリーマン家庭でしたので、商業とは少し縁遠かったです。まあでも、紆余曲折の末、大学に五浪して入ったのは、商学部商学科でしたので、やはり縁があったのだなあと思います。商学科を選んだのは「なんとなく」この世の商業について知りたいというものでしたが、その「選択」は何か今に通じるものがあったのだと思います。結構、このふっと思うのは大切なことだったりします。


  私たちは毎日モノを買っています。通勤するのに電車のチケットを買い、昼ごはんを買い、飲み物を買い、夕食をレストランで買ったり、材料をスーパーマーケットで買ったりします。扇風機が欲しければ買うし、お菓子も買って食べるし、どこかへ出かけて映画を見る券を買ったりもします。こう考えると、日々、買って買って買いまくりなのです。


  僕らの頭の中は何かを買うこととその支払いでいっぱいなはずです。テレビをつければ、何かを買えと言われます。雑誌を買えば、また何か買えと言われます。また、これだけ買い物の世の中なので、職業としての売ることをしている人も多くいます。
 

  こんなたくさん売買を繰り返しているのに、まるで息を吸うかのように売買そのものはあまり意識されてないのです。これはとても不思議なことだと思います。もちろん何かの意識はありますよ。でもそれは「売りつけられた」とか「買わせる」とか「得した」「損した」とかなんだか貧しい事柄でしか表現されないようなことが多いような気がするのです。だって、私たちにとって売買は人生のかなりの部分を占めているのに、それが「売りつけられた」だの「買わせた」だの「損した」「得した」なんていうので占められるなんて、何かとても損をしているように思うのです。


  そういうことを内藤は、自分が売る立場に立つようになって、はっきり意識するようになりました。どうしてモノを買うんだろう、売るんだろうと毎日考えていたのです。


  どうして?と考えるようになったのは、内藤がモノを売る仕事をはじめても、特定の売るものとかお客さんがいなかったからでしょう。それがだんだん増えていきましたが、その過程で多くのことを考えました。そうした点で、大企業でモノを売る場合よりもより商業について考えるきっかけになったようです。大手企業だと、どうやって儲けていくかという商売のビジネスモデルが確立しているので、販売はシステム化されているからです。そういうところで売っている人も、頑張って売ってるつもりかもしれないけれども、実のところ多くの人はシステムの一部分であって、会社の看板を背負って売っています。だからあんまり商売の神秘について気がついていないような気がするのです。


  商売というのは、モノやサービスとお金の流通なんですね。川のように流れているとイメージしてもらうとわかりやすいです。そして、この川は自在に流れを変える荒れ狂う川なんです。


  大企業のようなビジネスモデルの確立した商売というのは、この川の流れが大きな流れで決まったように流れる仕掛けになっています。または、昔に、大きな流れが出来るところに先陣を切って陣地を築いたようなところです。中小企業でも確立した商売は、細いながらも、自分のところに必ず流れ込む川の流れを持っています。


  この川の流れは、いつも同じところを流れるような堅実な商売もあれば、流れるところがコロコロ変わる氾濫する川のような流れもあります。商売をはじめる基本は自分のところを通るような川の流れを作り出すことなんですね。既に確立した商売のところに入ると、その川の流れを作り出すということが分からないと思います。既にそこにある流れるものになっているから。目の前の隅田川が枯れるなんて想像はなかなか出来ないでしょう。


  商売は川の流れを自分のところに引き込んで太くすることなんだと内藤は今は思います。時代の流れに沿ったところは、川の流れを引き込みやすいので、商売がやりやすかったりするし、皆が気がつくと、そこに皆が殺到して自分のところに流そうとするのでむしろ逆に商売は大変だったり。また、確固たる流れがあったところでも、時代が大きく変わっていくと干上がっていったりもしますね。それは個々の企業の努力ではどうしようもないので、川の流れを見ることは大切なんだと思うのです。ときどき、広告に巨額のお金をかければ流れを変えられると思ってる人がいるみたいですけども、そんなことはないんですね。流れとは人の思いが詰まっているので、流れの意思に反しての流れは出来ないんです。人の思いを知らないといけないのです。


  それで、小さく商売をしようとすると、小さくても自分のところに川の流れを引き込むということをしなければなりません。店を開けば勝手に水が流れてくることは余程の幸運を除けばありえないのです。つまり、川の流れが引き込まれるというのは、必ず必然があります。それは物理法則にも似ていて、低いから水が流れ込むというようなものが必ず必要なのです。例えば、成長期は、需要が上回っているようなところに出店すれば売れるという法則は典型ですが、今は需要は逆に低いので、また別な違う理由での必然性が必要なのです。


  このような豊かな時代の基本は何かと思うのですが、究極的には買わなくてもいい、ということなんだと思います。少なくとも、あなたのところからは買わなくてもいい、ということだと思います。お客さんは、それにお金を使わなくてもいいし、必要なら代替品が入手できます。これは企業にモノを売る中間財でも同じことです。かなり多くのものが、必ずしも買わなくてもいい、少なくともあなたからは買わなくてもいい、なんです。だからお客さんの必要性は低いんです。必要性に訴えかけるのはそれだけではなかなか難しい。


  とすると、モノか売る人そのものに魅力があるところが売れていくことになるんだと思います。よく営業本で、人間を売れ、とか言いますよね。よく誤解されますけども、人間を売れ、といっても、何かのお手伝いをしてあげることや、媚へつらうことや、土下座することが、人間を売っているわけではないと思うんですね。それは品性を下げているんです。人間は魅力があれば、お手伝いとかしてあげなくても、つまり何かを先に差し上げなくても、魅力ゆえに皆が集まってくるんです。これを理解するかどうかというのは、商人としてとても重要なことだと思います。何かをしてあげなければ誰も寄ってこないと思ってる人は、人間の魅力を知らない人ですし、魅力もない人です。そしてそういう人に寄ってくるのは同様に魅力のない、人間関係を取引としか見ない人たちなんです。


  魅力のないことをやっていると、魅力のない人たちが寄ってきてしまうのです。ほら。ウィンウィンってあるでしょう? 取引で双方が得しましょうというやつ。あれも誤解が多いものですが、ウィンウィンになるために相手に遠慮して何かをあげたりする人がいますが、それはウィンルーズになるだけですよ。交渉はね。最初に双方が利益を得られる妥当な結論が見えたら、そこに向かって相手を徹底して説得しなければいけないんです。こんな素晴らしい結論があるのにどうして他に道を譲れるんですか。譲ってはいけないんです。それなのに相手に遠慮して必要のない譲歩までしてしまうのは、決してウィンウィンではないのです。例えば価格交渉では、あなたが本当に相手を幸せにするモノを売っているならその対価は妥協してはいけないのです。妥協するのは、実は自信がないからなんですね。売れる自信がないから、早々に妥協したくなるんです。それをウィンウィンと言ってはいけないんです。単に、ウィンルーズなんです。あなたが負けたんです。利益をもっととればお客さんにもっと魅力的な商品を開発できたかもしれないのに、結局、自分が売れるかどうか自信がないゆえにそれをフイにしたのです。


  内藤が商売には神秘があるというのは、こうしたことなんです。商売はこの世を動かしています。あなたも毎日、何十回も商売をしている。そこには単に売りつけられた、買わせた、ではない関係があるんです。商売の川の流れを変えるのは、人の魅力なんです。人の魅力は、何かをしてあげたから出るものではないんです。人間そのもの、人生の生き方そのものが商売には現れるんですね。それも直接的に現れるんですね。その凄さに内藤は恐れと未知へのワクワクを感じるんです。内藤が伝えたいと思っていることの一つはこういうことなんです。