ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

本の読み過ぎはあるか (2004年7月26日)

bizmania2004-07-23



  内藤はバカみたいにビジネス本を読んでいるが、そんなに読んで頭でっかちにならないか、とか、読みこなせるか、とか心配する人もいると思うのでそれについて書いてみる。


  ビジネス本の読みすぎで頭でっかちになるかどうかは、読書量の問題ではなくて、読書に対する姿勢の問題ではないかと思う。日々、現状を良くしたくて本を探して読んでいると頭でっかちにはならないような気がする。本を読むことで、現在起こっている事象の深い意味が分かったり、過去にあった出来事の、そのときには思いもつかなかった背景や原理が分かったりするので毎日が楽しくなる。また、自分よりも先に進んでいる人から学べるので、次はあれをしてみようとか、こうなったらいいな、とかワクワクする目標がたくさんできる。他方、本を他人に知識をひけらかすために読んでいたり、自分の現状を肯定するために読んでいたりすると、読書は現状肯定と他人の批判材料ばかり探すことになるので、つまらないことになりそうだ。



  また、読みこなせるかどうかについて言えば、ビジネス本はたくさん読んでいると処理能力が上がる。というか処理能力が上がらないとこれだけたくさんは読めない。必要だからたくさん読めるようになるし、たくさん読むから能力が上がるという循環する関係にある。だから、本をあまり読まないでいると能力は上がらないから、たくさん読むと脳みそがオーバーフローするような気がするのだが、実際にやってみると結構可能なはずだ。


  それに、たくさん読んでいても、それぞれがまったく違うことが書いてあるわけでもない。結構みな似ているし、前提条件がそれぞれ違うことを考慮すれば、それほどバリエーションがあるわけでもない。だからたくさん読んで混乱するということもないと思う。いくつかの大きな流れがあって、系統ごとに分類できるはずだ。


  では、世の中の本のバリエーションは限られるからといってたくさん読んでもしようがない、ともならない。というのも、みな自分の前提条件は違うわけで、いろいろな条件下でどういう判断を下すかの事例はとても参考になるからだ。本に答えは載ってはいないが、生き方や判断の仕方として参考になる。


  それから、ビジネス本の読書は別に暗記試験のためのものではない。学校の教科書を読むのであれば、期末試験などで理解度を特定の仕方で問われたりするが、人生には学校の試験のような試験はない。毎日、ある意味問われ続けているともいえるのだけれども、センター試験のような、特定の分野について特定の理解の仕方をしているかどうかを問うような共通試験は存在しない。内藤も、読んだ本について、センター試験のような問われ方をすれば良い点が取れるかは自信がない。たぶん良い点は取れないだろう。あくまでビジネス本の読書の目的は、自分に役立つかどうか、自分が刺激されるかどうか、自分が何かに気がつかされるかどうかだけを考えて読んでいるから。本を読むのは学校での勉強のような試験向けの気分で読むと、読んだ内容を覚えなければいけない、覚えなければ勉強じゃないと思ってしまうが、別に暗記しなくていいのだ。自分に必要な知識は一回読めば結構覚えているものだ。たとえ一回で覚えられなくても、本当に必要な知識であれば、たぶん自分自身で必要と感じて何度も本を自ら読み返すことになるので、結局覚えられる。無理に暗記する必要はないし、人生では暗記した知識はあんまり役に立たないと思う。


  また、たくさん読むといいことがある。良書は悪書を駆逐するのである。理解は似たような本を読んでいくことで深まっていく。たくさん読んだほうが、視野が広がるし、特定の著者に偏ることもなくなる。妙な著者にはまり込んでいる人は、むしろ、あまり本を読まないのではないか。内藤はそう思う。


  というわけで、内藤は、本はガンガン読むべし、と思うのである。



(注) 学者の書く経営書はちょっと例外である。たくさん読むと混乱する。学者は自説を打ち立てるのが仕事なので、本の中で独自の論理や解釈や用語で差異化を図るものが多い。そのため、あまりそうした本に深入りすると、他の学者の学説との差異を細かく追及することになり、差異化のための瑣末な独自の論理や用語に囚われることがある。(もちろん、それはそれで面白い本もあるのだけれど…。)

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