2005-06-12 (1) いつまでも教われるか
会社で、内藤より年配の営業マンがその上司から仕事のやり方について注意を受けているのをみかけたのだが、その彼はどうにも他人の言うことが聞けない風であった。注意されても、いろいろ言い訳やら、理屈を言うのである。内藤からすると、その営業マンの仕事のやり方は「なってない」としか思えないので、注意は妥当なんだが、本人からすると注意されるなんて受け入れられないようなのである。あとで、「こっちもしっかりやってるのに、頭ごなしに言われると、カチーンと来ちゃって」みたいに言っているのである。
「あー、こんなこと言ってるこの人はダメだな」とか内藤は思ったのだが、いつでも他人から教わる用意がないと向上できないなあ、と思った。怖いことに、僕もそうなんだが、年齢が上がってくると、それなりに意味のないプライドみたいなもんが出てくる。長年これでやってんだ、みたいな。
しかし、いくらそのやり方で長年やっていようと、そのやり方とそこから生み出される仕事のクオリティが低ければ、なーんの意味もない。正直、10年そのやり方でやってたとしたら、その10年がムダ。これは、言い方きついかもしれないけど、内藤はそういう信念でいる。
長い間やってるということだけではそこに価値なんてない。長い間、高いクオリティを維持することにのみ素晴らしい価値がある。クオリティが低くて、ただ、長い間やってることなんて、評価に値しない。だって、時間はほっときゃ積み重なるんだ。単に息してるだけじゃない。
だからこそ、常に世の中の仕事の水準を知らないといけない。そして、自分の仕事水準と比べていないと、いつの間にか井の中の蛙になっていたり時代遅れになっている可能性がある。まあ、別に、井の中の蛙だろうと、時代遅れだろうと、それで生きていければかまわないんだけども、でも世の中は残酷なもので、今の時代は競争が激しいのでそれだと困ることが多く起きるんだよね。いかに学ぶか、ということが大事になってきているんだな。世の中で学習するスピードが上がっているんだ。メディアも豊富なので、スキルやら知識を伝達する方法がたくさんある。だから学ぶヤツはどんどん学ぶ。世界水準で学んでいく。そうした中での競争なので、昔みたいに一度学んだらそれで一生食っていく、というのが難しくなっているんだな。だから、ただ長くやってるというだけではプライドも持てないし、食ってもいけない時代になっている。
逆に言えば、学びまくれば、世の中のトップクラスに近づく機会もあるということだと思う。学ばない人はどんどん時代から取り残され、学ぶ人はどんどん技能を進歩させていく。今必要なのは、広く深くたくさん学ぶことだ。そして学ぶなら一流のところで学んだほうがいい。一流の人から学んだほうがいい。また、他人が学ばないマニアックなことを学んでおくのも、何かの役に立つ。
そういう世の中なので、20年くらい前に、たいして優秀でもない先輩から学んだ営業スキルをそのままずっと持っていても、それで長くやってきたとしても、今となってはまったくの時代遅れとなっていたりする。だからこそ、注意されるわけだが、せめて注意されたときには教わろうとする姿勢がなくなっては、まったく自分が伸びる機会がなくなってしまうなあ、と思ったのだった。
確かに、いい歳をして叱られるというのは、心地よいものではないけれど、やはり貴重な学ぶ機会なので、教わることができるようにありたいなあと思ったのであった。