ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

2005-06-19 (1) ネゴシエーションの技術


  ネゴシエーション(交渉)の技術というものがあって、それについて本も色々出ている。まあ、これは実際にやりながら学んでいく面が大きい。本人のキャラもあるし、それにあったやり方を取る必要がある。


  内藤も、学んできたものの、100%絶対正しいという手法にめぐり合ったわけではない。だから、こうするといいよ、なんて言えないんだが、これは違うだろ、というのはあるのでそれを書きたい。普通に交渉術として書かれていることはないが、実際のところ、このやり方をしている人を良く見かける。だが、そのどちらも間違ってると思う。それらは交渉術ではない。



(1) ダダコネ幼児型

  まずこれだ。とにかく、大きな声とか不満そうな声でクレームをつけてかかる。それで、相手が動揺したり弱気になるのを狙う。とにかく、こういう条件では受け入れられないと騒ぎ立てるのである。そうすると、取引を失いたくない相手は、一生懸命、相手の機嫌を取り始める。人間というのは、不満ある人間を目の前にすると機嫌を取りたくなるものだ。その心理を利用している。また、自分が、お金を払う側、という立場を利用しているケースが多い。


  こういうタイプは、内藤の経験からすると、大手企業に多い。しかも、頭でっかちエンジニアとか、経験の浅い若い購買担当者がよくやる。


  頭でっかちエンジニアは、教科書どおりとか、契約どおりでないとすぐ怒り出すのだ。実際の世の中は教科書どおりにも契約どおりにも行かないものだが、そこで発生した問題の責任を負うのは誰かということを気にするのがこのタイプ。もう起きてしまったものはしょーがないわけだが、なかなか受け入れられない。とりあえず、そこで騒ぐのである。特に、大学時代に要領がよく、ペーパーテストが良く出来て、実験を適当にでっち上げてきた人間に多い。


  さて。それに対して現場主義のエンジニアだと、不具合だとか、検収条件を満たさないとか、納期遅延なんかの問題発生に対して、すぐ、どこまで直せるかといった現状から回復するための具体的な対策の話になるのだが、頭でっかちエンジニアになると、教科書通りでない的な文句を付け出すのだ。責任を転嫁するわけだね。


  余談だが。思うに、エンジニア採用の際は、学校の偏差値よりも、徹底して基礎実験をやらせる研究室の出身かどうかで確かめたほうがいいと思う。要領のいい人間はエンジニアに向かない。物理は教科書どおりにはなかなかいかないから、根気よく実験を続けて不具合の原因を追究できる人間が必要だ。大学の工学部といっても、大学や研究室によってそのクオリティはピンキリで、はっきりいってロクに指導してない研究室もあれば、何でも自作させるスパルタ式研究室もある。内藤の主観では、やはり東大は全般にしっかりしている。たぶん、実験に使える予算が大きいということと、自負心だと思う。だが、私学の工学部は偏差値には関係なく、研究室の教授しだいでぜんぜん違う。あまり偏差値が高くない私学の工学部でも、指導に熱心な教授の研究室だと、実験の基礎が叩き込まれるようで、学生のエンジニアとしての力の差が歴然と出る。教授の予算獲得能力にも依存するかもしれない。そういうわけで、ペーパーテストに長けた、要領のいいエンジニアばっかり採用している企業はヤバイと内藤は思ってる。例えば、大学生にとって入りたい企業トップ10にランクしてるところとかね。


  また、経験の浅い若い購買担当者も、わめけばいいと思っているのが時々いる。経験が浅い購買担当は交渉の仕方が分からなくて、とにかく、バタバタと地団太を踏んでダダをこねるのだ。しかし、経験のある購買担当者は、サプライヤーを馬鹿にして怒らせるとさりげなく非協力されることを知っているので、決して怒鳴らない。いかにサプライヤーを動かすか考えるのだ。




(2) 理屈コネ言い負かし型

  これは内藤もあまり人のことは言えないんだが、議論で相手を言い負かすことだけに意識が向いてしまう人がいる。実務上の議論とは、ディベートではないので、勝ち負けではなくて、よりベターなお互いにメリットのある未来を作るためにどうすればいいか、というのを話し合うために行う。基本は、お互いにメリットのある未来をどう作るか、という話なのである。その過程で、お互いに譲歩できるところを探ったり、新たな解決策を考えたりするわけだ。そして、結論が出れば、関係者がその未来に向かって走り出すという意志を固めるためにやる。


  ところが、これも思い込みの激しい担当だと、自分のストーリーというのが既に出来ていて、それをいかに相手に通すか、ということしか頭にない人間がいる。そういう人間は、わりかし頭が良かったりする。しかし、どこかで屈折してたりして、自分のストーリーに屈折した自信があり、その正しさを相手に納得させたくて、議論を開始する。この場合の議論は、ほとんど裁判である。


  例えば、ある製品でこういう性能を持ったものを作って欲しい(そんなものて出来ないのだが)、というわけだが、出来ませんといっても納得しない。どうして出来ないのかをネチネチと絡んだり。で、最後は、ほら僕が正しいでしょ、みたいに言うのだ。いくら正しくても、世の中、モノがあるとは限らない。つまり、ストーリーは正しくても、実現性とは別である。正しいか正しくないかなんてのは実務では重要ではないのだ。実現性と、関係者がその実現に向けて意思があるかどうかが重要なんだ。だから、共通のメリットある未来はどうすればいいかを話し合うために議論するのであって、自説の正しさを証明するために議論するのではないのである。


  こういう人間に限って、議論が得意とか思ってたりするわけだが、相手を言い負かすのは実務的には何の意味もない。自分の組み立てたストーリーを相手に飲ませるのは議論じゃない。正しいかそうでないかは重要じゃないんだ。だから、あんまり先走って自分の頭の中でストーリーを組んでしまわないほうがいい。世の中はずっと広いし、自分の頭の中ですべて分かるなんてことはないんだな。みんなの知恵を結集してこそ人間だと思う。ま、これは内藤自身への警告でもあるんだけど(笑)。




  ま、それにしても、ネゴシエーションは未来という未知との格闘であり、多くの人を巻き込んだ人間のドラマであるから、奥が深い。担当者が変わるだけで、コロッと妥結することもある。人間性もとても重要なファクターで、○○術、というだけで括れない深みがある。まだまだ勉強ですわ。