ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

本当の自由は厳しい 【30歳はじめての就職のあと(2)】

(前回からの続き)


●本当の自由は厳しい 【30歳はじめての就職のあと(2)】


この就職した中堅輸入機器商社はとても個人主義的なところで、それぞれ営業マンが独立して活動していた。主要な顧客は担当がいたりするが、あとは特に組織立った活動がなく、社内で特に勉強会もなく、とにかく個人で研究し、開拓し、サポートするという風潮だった。


会社からは強制されることがほとんどなかった。一応、営業の数値目標もあったりするが、会社全体でその数値を目指すぞー、みたいなのもないし、課内でもそういう雰囲気がなかった。個人的にも営業数値で責められることがない。そういうところは、営業マンばかりの会社なのに不思議な雰囲気のところであると今も思う。


会社の社長の方針で、上司は部下をいじめるな、というものがあって、上司も部下を叱らない。だから好き放題とも言えた。逆に言うと、秩序がないというか、まったくの新人の場合、ぼーっとしていると何年もぼーっとしている感じなのだ。そういうことが可能なのは、特殊な分野で高収益性のあるビジネスだったからとも言える。利益率は非常に高く、粗利は50-70%程度あった。


ちなみに、社長のそうした方針は、社長の個人的な体験に根ざしているということを社長自身から聞いたことがある。社長自身が営業マン時代に、勤務先の社長から嫌われてトップ営業であったのに辞めざるを得ない状況になり、独立せざるを得なくなったとのことで、会社の設立理由が自分の居場所作りであった。それが退職して起業後15年で、退職させられた企業並みにまで成長させることが出来たというのは誇りであり、社員を辞めさせるような嫌がらせは社内に作らない、という方針になっていた。他方、それは停滞感も生んでいた。


ともあれ、本当の意味で自由な社風であったため、新人にはどうにもやりようがない会社であった。そういう点で、上からいろいろ指図が降ってくる会社というのは本当に幸せだと思う。自由にやらせてくれない、とか言う不満は、僕のいたこの会社のように完全に放置プレイする会社に出会うと、指図の有難さを感じることになると思う。


本当の自由さというのは、スキルを持っている人間には便利だがそうでない人間には手も足も出ない。言ってみれば、描く道具もテクニックもないのに真っ白なキャンバスを渡されて、さあ自由にどうぞ、と言われるようなものだ。描くスキルがついてくれば、自由に描いていいことは有難いが、学ぶ段階ではキツい。この自由さは、この後、僕が勉強しまくり、実験しまくったときには価値を最大限発揮したが、この入社時点ではむしろ難局であった。


というわけで、1週間の教育期間が終わると僕は暇になった。仕事がなく暇なのである。


営業1課に配属されたが、僕は特に継続した取引先というのものはなかった。同期の何人かはそういう配属があり、注文を受け、取引先に通っていたが、僕にはなかった。どうも、30歳未経験の僕の当時の見た目というのは、「オタク」に分類されていて、線も細く、要は会社もどう扱って良いか分からなかったようなのだ。まあ、期待の新人というよりも、オマケで採った30歳未経験という奴なので当然かもしれない。


どう考えても僕のポジションはヤバい。


今でも、入社一週間した段階での危機感を覚えている。ココは何もしないと放置されてそのままなのでヤバイ、と思った。仕事が出来なくて叱られるよりもヤバい状況だった。


猛烈に勉強をしはじめたのもそれが理由だ。僕には、お客もいない、知識もない、営業力もない。つまり何もないのだ。ならば知識だけでもつけようとした訳だ。


というわけで、最初の1年間は、かなり勉強した。


毎日、朝は7時に来て平日の夜は11時くらいまで毎日残業していた。夜は時間があれば資料を読むのに使った。また土日も最初の一年はほとんど出社して社内資料を読むのに充てた。


一見、猛烈に見えるが、当時の僕には苦労ではなかった。いや、僕はもともと体育会系ではないし、モーレツ型では決してない。


頑張れたのは断念した会計士試験のおかげだ。会計士受験時代はとにかく辛かった。受からないで毎年受験を続けているとき、365日間24時間、いつも受験のことを考え頭から離れなかった。いつも勉強しなければという強迫観念に悩まされていたからだ。そこからすると、受験勉強しなくて良くて、もっと実用性の高い勉強が出来るのだから、ある種の楽しさがあった。受験時代からすると天国みたいなものだった。また、新聞配達と比べるとずっと身体は楽だ。こう考えても天国みたいなものだった。


つまり、自分では自覚していなかったが、会計士受験という試練で、元々のんびりしている僕自身を極めてハングリーな状態に追い込んでいたのだ。会計士受験は失敗したが、そこで溜め込まれたハングリーさがこういうところで役に立った。人生はホント何が役に立つか分からない。そういう観点で考えると、貧乏なところからのし上がってきた奴ってすごいハングリーさなんだろうなと思う。ハングリーな奴はすごいパワーを持っている。


また、少しでも早くこの人生の周回遅れの状態から抜け出したいと考えて必死だった。残業代は出ないがそんなことは関係なかった。一日でも早くマトモな人間になりたい一心で頑張った。普通の人間の5倍努力すれば、1年で5年分になる。3年で追いつけると計算していた。



今から考えても、最初の数年に最大限のエネルギーを注いだのは正解だと思う。その後、転職したときも初年度に最大限のエネルギーを投入したし、それはやはり正解だった。


後から頑張ろうなんて絶対ダメだと思う。体力なんて温存すべきではなくて、スタートダッシュをかけるべきだ。もちろん、周りへのアピールという点でも重要で、「あいつは頑張る奴だ」となればその後の人生がとてもうまくいく。でも、それだけではなくて、スキルアップは早ければ早いほうがいいのだ。


というのも、最初にスタートダッシュをかけると、早くに上達する。スキルは投入する時間数で決まる。早くに訓練時間を投入すれば早くにスキルアップする。早くにスキルアップした状態で、ビジネスのさまざまなシチュエーションを経験すると得られる収穫が格段に大きくなる。学んでいない状態でいくら貴重なビジネスのシチュエーションに出会っても、そこから何も学べないのだ。ところが、スキルアップしていれば、どの機会も物凄い勉強の機会だらけになる。つまり、ビジネススキルというのは高めると、さらに高まる相乗効果があり、スタートが早ければ早いほど有利に働くのだ。だからこそ、スタートダッシュはすべてを犠牲にしても頑張る必要がある。それだけのメリットがある。


僕は勤め始めて最初の3年間、プライベートをすべてつぶして仕事に注ぎ込んだ。当時の僕は1年で平均的な人間の5年分は進んだという意識でいた。


入社して10ヶ月くらい経ったある日曜に僕が出社しているときに、社長に会うことがあった。「お前は普通の人間の3倍のスピードで進んでるな。どこまで行くか楽しみだな」とほめられて嬉しかったことを覚えている。自分が人より周回遅れでどれだけで追いつけるかを考えて頑張っていたときにかけられた言葉としてこれほど嬉しいことはなかった。



(つづく)

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