ビジネス本マニアックス

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師匠を得る 【30歳はじめての就職のあと(3)】

(前回からの続き)


●師匠を得る 【30歳はじめての就職のあと(3)】


入社してから取り組んだことは勉強以外にもいくつかあった。


そのひとつが「師匠を得ること」だった。これってかなり重要なポイントだと思う。


自分の中での意識の持ち方でいいのだけど、会社の中で師匠となる人を見つけるのだ。そして、その師匠の一挙手一投足を観察する。必要なことはメモする。そして、なぜそうするのかを考えてから覚えていく。必要に応じて、なぜそうするかを尋ねて教えてもらう。これが上達の最短コースだと思う。


ビジネス社会というのは、独自のルールで動いているわけで、学生から見ている世界とはルールが違う。この中で登っていくのであれば、ビジネス社会独自のルールに熟達することが大事で、そのルールに熟達している人を見て学ぶのが早い。入社前の自分が考えている正しさなんて捨てて、自分を空にして学んだほうがいい。自分の正しさにこだわると上達が遅くなる。


ただ、師匠といっても一人に絞らなくてもいい。会社の中にはいろんなことが得意な人がいるので、その人の得意なことをそれぞれ師として仰ぐといいと思う。謙虚に素直に近づいて教えてもらうのがコツだ。


まず、最初の師匠は所属した課のO課長が師であった。O課長は昇進したばかりで元気いっぱいだった。いっけんすると日本人離れした西サモアの人みたいな風貌をしていたが、明るく周りを楽しませる達人だった。営業は独特のやり方でクライアントに人懐っこく食い込む技を持っていた。それはすぐは真似が出来なかったが、何年か経って商談の空気を支配するという感じを掴むのにすごく参考になった。商談では、その人が加わることで場の雰囲気が変わるようになれば一流の営業と思う。商談の場の空気がコントロールできるようになれば強い。そうなれば、どういう方向にも持っていけるからだ。


当時、僕はよくO課長の動作の真似や話し方の真似をネタで会社でしていた。とにかく見たら真似してみるというのを冗談ながらやっていたのだ。O課長にはその後かわいがってもらった。今使っている腕時計はO課長から譲ってもらったオメガ・シーマスターだ。思い出の品なのでとても大切にしてる。


営業のプロというのは、それぞれ独自のやり方を持っている。どのタイプの人も見ておくと、いろんなヒントが詰まっている。とはいえ、最初は自分と同じタイプの人を目標にするといい。


そういう点で、僕の心の中での一番の師匠は、Mさんだった。入社当時、新しく出来る福岡営業所に営業所長として赴任する直前だった。もとは、翻訳から営業に転じたMさんは女性で、文系ながら技術に詳しく、英語が出来て、独特の魅力を持った人だった。


Mさんが福岡に赴任するに当たって数人のお客さんを引き継ぎ、何回か同行した。そのときのことを良く覚えている。僕の中でそのときからMさんは師匠になった。僕はこの人のやり方をまねしようと思った。Mさんは僕が師と仰いでいることは知らないと思う。自分の中での師匠というのはそういうものでいい。今でも福岡に行く機会があるとお会いして飲んだりしてる。Mさんは僕の中でかなり長い間、モデルだった。今でも感謝してる。



あと、一番お世話になったといえるのが、僕の入社当時、物流課長だったI課長。入社後、どの人が社内で一番技術に詳しくて、分からないときに聞けばいいかというときに、確かさきほどのMさんに薦められたと思う。I課長はヒゲが特徴の度胸のある人で、不思議な魅力のある人だった。


最初のO課長とは対極的な人で、営業っぽさゼロの人だった。その自信のある静かな雰囲気と専門知識からお客さんに強く信頼されていた。ちょうどこのとき、営業から物流の課長に代わったときだった。売り上げ数字を追っかける気のない人で、そんな関係で営業部から物流をやったりしていた。


I課長に会ったとき、付き合う人を選ぶ人だなと最初に分かった。親しい人間にはいろいろ教えるが、そうでないとあまり関わらないようにするタイプの人で、僕は技術の話をして信頼されるように努め、いろいろ教えてもらえるような関係に1ヶ月くらいでなった。技術的ことが好きで気があったということもある。でも、自然さだけで親しくなれるのは学生時代だけだ。大人の人付き合いは相手を楽しませるのが先でそうすると親しくなる。先に何かして欲しいと思っているだけでは関係は進まない。


I課長の物流課長時代には、年中、課長のところに遊びにいき、いろいろ教えてもらった。また、僕自身の理科系が得意であることも、そうしたやりとりから伝えられたので、I課長は僕のことを出来ると言ってくれるようになった。ちなみに、I課長は社長の信頼が厚い。そうした関係であとでいろいろと助けられたりした。


その後、I課長が営業部に戻って課長になるときには、僕はI課長の下に入るように運動した。僕の技術よりの特性から、技術に強い課長の下にいるというのは相性から大事なことだった。これもI課長に気に入られていなければI課長の下には入れなかったわけで、できる人にきちんとアピールして気に入られるというのは大事なことだと思う。


I課長は度胸があると書いたが、僕から見るとI課長は商社マンに必要なノウハウを多く持っていた。いかにも売り込みますとかそういう営業マンではなくて、基本的にパッシブなのに、お客さんが皆頼みに来る、という営業だった。技術商社らしいといえばそうなのだが、モノを右から左に動かすだけで大きな利益を生み出すという商社ビジネスの大事な部分を知っているように僕は当時思ったし、今も多くのことをI課長から学んだと思う。


学んだことは、本当の情報は力であり、お金になるということ。どの海外メーカーの成り立ちはどうで、誰がどこにいるか、どういう技術でやっているか、業界の中でどこでどういうものを作っていて、それはいくらかといった情報を物凄く持っていた。インターネットが普及しつつある時代だったが、そんな情報はどこにもなかったし、今もほとんどない。ほんとうに役に立つ情報は人間が持っている。I課長は時間のあるときはカタログやホームページや資料を何気なく見ていて、値段や仕様を自然に記憶していたようだ。数字に関して記憶力がずば抜けて高い。こういうのは才能だと思う。


また、業界としての常識、取引としての常識を人一倍持っている人で、そのためか堂々としている。取引のまとめかたというのは、どれだけその取引に熟達しているか、セオリーを知っているかということが実は重要なファクターになっている。


取引は、不安に思うと負けだ。不安なほうが自分に不利な条件を飲むようになっている。商談中に、自分のほうが非常識なんじゃないかと思えると弱腰になる。若手営業が海千山千の購買担当者に丸め込まれて大幅な値引きをさせられてしまったりするのはそういう理由だ。「こんな値段では買えないよ! 常識だろ!」とか詰め寄られると、そうかな?と若手は不安になってしまうのだ。取引は相手を不安にさせたほうが強い。情報が少ないほうがゲームで負けるようになっているのがセオリーだ。僕が今交渉に強いのは、こういうことが学べたことによる。商談も強いが、お金の支払いを渋る相手にも、ケンカにせず、クロージングをかけて払っていただける自信がある。お金の回収も大事だからね。特にITビジネスは。


僕はI課長のそうした判断基準を出来る限り取り込むように努めた。具体的にどうしたかというと、見積もりの仕方、プライシング、ネゴシエーション、もろもろの手順について、「こういう状況で、僕は〜しようと思うのですけど、いかがですか?」と尋ね倒した。


もう聞きまくりである。たぶん、僕のことが嫌いでなかったから嫌がられなかったんだと思う。そういう意味でも人に好かれることは大事だ。また、ちゃんと自分の中で正解を作って聞いている。「どうすべきですか?」と聞かれると、「自分で考えろ」といいたくなるが、可否を聞くのであれば、雰囲気でそのやり方がよさげかそうでないか分かる。そうした、取引の常識をI課長から徹底して学んだ。これは僕の財産になった。今、自信を持ってビジネスを進められるのはI課長のおかげといえるので、すごく感謝してる。退職の際には、I課長に引継ぎをお願いすることになってしまい申し訳ないことになってしまった。とはいえ、ほかにやりたいことが出来たのでやむをえない。


最後に大阪のO所長。たまにしか会う機会はなかったが、厳しい人だったが親切なところがあり皆に好かれていた。すぐに出来る人と分かって、師として仰いだ。商社営業やマネジメントのプロといった感じの人で、マネジメント層が薄いその会社の中では格段にマネジメントスキルを持った人だった。ただ、ちょっといじわるなので、なぞかけで教えてくれたりするので、どちらかというと、僕の考えをO所長にぶつけて反応を見るということが多かったと思う。かわいがってもらった。O所長は取締役で営業成績も格段に大きかったが、僕の入社2年くらいで社長と折り合いが悪くなり退職してしまった。中小企業で社長より人気が出てしまうのは良くないのはセオリーのようだ。いろいろ教わったのはO所長の退職後のほうが多かったかもしれない。昨年も部下のマネジメントの件で相談に乗ってもらったりした。O所長には、「キミは経営側になる人間やと思ってたよ」と退職後だが言ってもらって嬉しかった。



最後に。その会社の社長のことは師とはならなかった。嫌いということもないのだが、師とは違う。その代わり、社長とはどういう職業か見て勉強させてもらった。社長職とは僕の想像以上に重い職だった。


会社は社長の器以上にならないというのは本当だし、会社は社長の心象風景が反映される。そういう意味で近くで見せてもらってすごく勉強になった。社長の心が病めば会社は病む。社長の心のバランスが悪ければ、会社もバランスを失う。そういう点で、100人以下の会社は社長の生き方、心が強く反映されるというのを知ったのは、入社後3年ほどして知ったことで、新鮮だった。会社とはもっと堅牢でシステマチックなものと思っていたが、ぜんぜん違う。当事者の想いで支えられている。その中でも権力のある社長の影響が強い。また、会社の重さは社長の心に重くのしかかる。会社を背負う重みで酒に走ったり、女に走ったりする社長はよく聞くが、なるほどよく分かる。逃げようにも逃げられない職の重みが今はだいぶわかる。




というわけで、社内で心の中の師を得て吸収に励んでいた。


師を持つときのポイントは、表面的な、どういうときにどうする、というような答えを得ることではないということ。


その人の考え方をすべて吸収するつもりで、出来る限り一緒にいて、または一緒にいるときはビデオで録画するくらいの勢いで一挙手一投足すべて観察し、なぜそうするのか考えて、場合によっては尋ねて、すべてを自分のものにすることが格段の上達をするためのコツであると僕は思っている。


師と素で同じように考えられるようになることが目標だ。格段のレベルアップというのはこういう形でしか伸びないような気がする。成長とは連続する直線ではなくて、突然、レベルが一段上がるようなそういう伸び方をすると思う。


逆に言えば、社長のかばん持ちは、こういう気持ちで吸収できればこれほどいい職はない。僕は今、小さい会社で営業部長をしているが、現社長の目の前の席でいつも同じ空気を吸っている。最初は、要求されるレベルや、要求される仕事の仕上がりにキツいと思った。しかし、現社長と一緒に仕事をして9ヶ月。経営者としてどういう風に考え判断していくのかを吸収していくことで、会社の経営の見え方が大きく変わった。当然としてこの程度を要求するというのが理解できるようになり、社長の考え方が物凄く吸収できた。それはすごくありがたいと思っている。そうやって人は成長すると思う。今も成長続けている途中だ。



(つづく)

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