ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

ヒットは連続させて注目を定評にする。そのための仕込み【30歳はじめ

つづきです。


●ヒットは連続させて注目を定評にする。そのための仕込み【30歳はじめての就職のあと(6)】


前回、8年の遅れを挽回する基本的な考え方として、


人気のない仕事 + 自分の特技 = 周りの期待を大きく上回る成果 → こいつはやるかもしれない。チャンスを与えてみよう → さらにチャンスが降ってくる

というのを書いた。


とにもかくにも、与えられる仕事をまじめにやっているだけではダメだ。いや、ダメじゃないけど、8年の遅れを挽回するのにはならないのが現実だと思う。そのためのテクニックとか考え方を書くことで僕と似たような誰かの役に立ついていくつもりで書いている。


さて。そうしてヒットを飛ばし、ニュースを作る。まずは注目されるようになるというのはとても大事。そして、次に必要なのは、次のヒットを飛ばすこと


なぜかというと、連続してヒットを飛ばすと、注目が定評に変わる。まぐれではないと思われるようになる。ヒットを期待されるようになればさらにチャンスは回ってくるようになるし、社内にもいろいろ融通が利くようになって仕事がやりやすくなる。


そうなるための連続ヒットは、起こせる。要は仕込みなのだ。


次に回ってきたチャンスも、準備して、自分の特技を絡めて回りの期待を大きく上回るようにすればいいのだ。もちろんこれで成果が上げられなくても「ダメモト」だ。失うものはない。一回で失望されることもないので、実はとても有利な位置にいる。


そんなこんなで、サンフランシスコで毎年開かれる業界の大規模な展示会に参加することになったのだが、海外に行ったことがなかったし、英会話も得意とは言えなかった。そういう仕事の経験もあるわけでないので、どうしたらいいかいろいろな先輩や上司に尋ねて回った。分からないときは教えてもらうことが大事だ。


すると、展示会に出ている新しい製品を出しているメーカーを見つけて代理店契約するといいらしい。親切な上司のO課長は、自分が見つけてきたときの話をしてくれて、具体的にイメージが出来た。とはいえ、新人がそんなことできるわけがないので、ブースに立ち寄ってカタログをもらい集めてくればいいらしい。


それを聞いて、僕は新人だったけど、僕ははじめから新製品を見つけ、代理店を見つけてくるつもりでいた。単純に「じゃあ、その代理店を見つけてこよう。新製品を見つけてこよう」と思った。


実はこうやって考えることが人生のコツなんだと思う。なんていうか、少し背伸びするっていうか。「新人なんだからこれくらいでいい」なんて言われて素直に「俺たちは新人なんだから、できなくてもしようがないよな」って思う人いるでしょ。でも、そんなんじゃいつまで経っても人並みでしかない。ぬきんでるには違う考え方をする必要がある。


そもそも、物事はやろうと思うことが大切だと思う。こう書くと、ポジティブ教と言われそうでイヤなんだけど、8年の遅れを取り戻すという割合とアグレッシブな話を書いているので、こういう考え方がないと取り戻せない。もちろん、やろうと思うだけでどんなことも可能になるわけじゃないけど、世の中は思ったよりカンタンだし、やれば結構できるもんだと思う。そもそも自分がどこまで出来て、どこまで出来ないかなんて大抵の人間は確かめてないわけで、確かめるだけでも価値がある。


ともかく、調べて、人並みの水準がわかったら、そこで留まっていないでその先を見に行くことが大切だと思う。なんか最近、どこかのブログで読んで、でもどこだか思いだせなくて歯がゆいんだけど、電気のコンセントに突っ込んで感電しないとダメとかいう話があって、あー、それだ、と思った。やっちゃいけないとかいわれてる先を実験的に試すというのって必要だなあと思った。僕も幼稚園のころコンセントにクリップ突っ込んで感電したクチだ。いや、感電するってのは知ってた。でも片側だけだと感電しないんだよね。それをどきどきしながら試してたら、結局感電したんだけど(笑)。まあこれは余談。


展示会の開催数週間前に、このころは郵送で新聞形式で送られてきたので、これをすべて読んでしらみつぶしにチェックした。チェックしてどこを見に行くか、どこが有望かを調べておいた。当時の知識では不完全ではあったけど、当時に行っていたお客さんのニーズをベースに探した。真空紫外関係をそのときは調べてみた。


さて。年も明けて1月。サンフランシスコに行った。成田に行くのも初めてで、12月にパスポートを取りに行ってドキドキだった。初めて展示会場に行き、ブースで満たされた会場の端に立ったときの胸の高鳴りを良く覚えている。うわー、外人いっぱい、と思った。こんなところで、新製品が見つけられるのかな、と。


当時は、もー、外人に話しかけられるのでさえ、怖くてねえ。まあでも、これがチャンスだと思ってたから、引くわけにはいかないとがんばった。今でこそどこでもずうずうしくしているように見られるが、もともとは対人恐怖のある人間なので、かなり苦痛だった。


ここで、事前に目をつけていた出展者の一つ、天然ダイヤモンドを使った真空紫外線の検出器を見つけて総代理店契約することになる。ラッキーだった。初日から3日間、このブースには通い、同行した先輩や上司に聞きつつ、総代理店契約を結ぶことが出来た。交渉も基本的に僕一人にまかされて、それで出来たので嬉しかった。


そのときの勤めていた会社の面白いところは、僕の自由にさせてくれたところ。僕が話したりするのを見守っているのだ。おかげで自分の力でどこまで出来るか試すことができて有難かった。とはいえ、分からないときに相談すると教えてくれる。こういうところが不思議な雰囲気のある会社だった。


日本に帰ってきてから、当時の会社の社長には「入社して4ヶ月で総代理店契約を取ってくるのは業界最速だ。伝説になるな!」と言ってもらえて嬉しかったのを覚えている。


また、社長には同時期に、モノを拾う動作をしながら「お前は拾い物」と言われた。そっちのほうは嬉しいんだか、どうだかという感じだった。今でも思うんだけど、拾い物って発想はたぶんよくない。ローコスト・ハイリターンの発想で、そのためか結局、この社長の元からは人がどんどん去っていった。5年後に僕も去ることになる。思うんだけど、会社とか、家族とか、他人が近づくことになる人の縁というものはあくまで「授かりもの」だと思う。授かったものと思わないと、たぶんうまくいかない。



その総代理店契約をした検出器は、その後、メーカーとの付き合いを学ばせてくれたりしたけど、結局、4年くらいかけて、600万円くらいしか売れなかった。まあでも、1個20-30万円だったしね。ニッチのニッチ製品では売れたほうで、これのプロモーションはいろいろ勉強になった。会社には損は出していないのでよしとする。そのメーカーも担当者は最後はほとんど辞めてしまって、辞めた元担当者に発注したりして、人のつながりが大事だなあと思った次第。


このプロモーションも、ちゃんとやった。予算を取ってデモ機を揃えたし、不明なところは国内のアンプのメーカーを尋ねて、いろいろ教えてもらったりした。そのときに「これはなかなか難しいですよ」と老社長さんに言われたのを覚えている。あちこち聞いて回るって大事だ。関係する雑誌に広告をいろいろ工夫して出し、興味を持ちそうなところにカタログを送って、テストしてもらった。1-2年は年に数個しか売れなかったものの、3年目に1年前に興味を持っていたお客さんで、やっと予算が取れたよ、と、30個ほど買っていただけた。これが一番大きな売り上げ。


この業界の動きはゆっくりで、新製品のプロモーションは3年かかるということがこのプロモーションで分かった。


1年目には「なにそれ」「ヘンなものだな」。
2年目には「こういうのあるの知ってるよ(ウチのプロモーションの効果が大きい)」「欲しいよね」。
3年目には「予算取れたので買います」。


という流れがあると分かったのも、大きい収穫だった。同業の人たちはこの仕組みを結構分かっていない人たちが多くて、目先の売れるものばかりおっかけていて、育てるということが分かっていない人が多かった。業界でも成功する営業は、商品を研究し、メーカーと腰をすえて付き合い、ちゃんと商品を育てて、時間をかけてプロモーションしていた。発想が違うことが営業力につながっている。出来る営業ってのは、目先でワアワアと、これ売れますよー、買ってください!というばかりではない。



また、例の最初の日本語化したほうだけど、そちらのメーカーとも顔合わせが出来て、これも僕が中心となってメーカーに話す場を作ってもらえて、話が出来た。これもドキドキだったなあ。何しろ相手の言っている英語が分からなかったらどうしようと心配だったが、まあまあ聞き取れた。これはAFNを聞いていたおかげだろう。これも、同席した先輩は見ているだけなので、ドキドキした。


そのときに、初顔合わせだった大阪のO支店長がニヤニヤしてみていたのを覚えている。どうも、こういうのを通して評価してもらえたようだった。それ以来、僕にはなんとなく優しくなったのだ。いつも会わない人と仕事で同席する機会というのは、知ってもらいアピールの場でもあると思う。



当時は英語を話すのは苦手だったが、内容があれば相手もちゃんと待って聞いてくれるので、つたなくても何とかなった。つまり、バイヤー側は、英語がつたなくても、相手の外人側も売りたいので親切に聞いてくれるし話してくれるので、かなり楽なのだ。逆の立場になると難しい。


バイヤー側の英語はつたなくていいということについて書いてある本は、南原竜樹さんの本を除いて読んだことがないので少し補足。モノを買うのは片言の英語でも商品知識があれば何とかなる。英語がつたなくても、海外旅行に行って物を買ってこれるのもそういう理由。相手は売りたいから、親切なのである。ところが、モノを売るのは、その言語のネイティブでないと難しい。相手の機微が分からないのだ。相手を欲しい気持ちにするというのは言語に通暁していないと難しい。もちろん、その製品が相手が欲しくてたまらないものだと片言でも売れる。テクノロジー主導マーケットで多いけど。でも基本的には難しいと見ていい。それは日本製の製品の輸出が一部の分野でしか成功していないのはそういう理由だと思う。(※最後に補足あり)


仕込みという観点では、英語も、英会話学校には行った事がなかったが、AFNのラジオを聴いていたり、会話集を読んだりしていたのが役に立った。何事も事前の仕込みが大切なのだ。



まあ、このときの出張は総代理店獲得と、メーカーとの顔合わせ、僕自身のアピールなど収穫の多い出張となった。


この出張を機に、変わってるけど、出来る奴じゃないか、という定評ができたと思う。最初の成功であった。ヒットを連続させて、注目を定評に出来たのである。


その後、営業職なので実際の売り上げ数字を稼ぐ必要があり、これはこれで壁にぶつかることになる。それはまた次回に。


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(補足)


えーと、こういうことを書いた意味なんだけど、要は、英語を使う仕事に就きたいから英会話学校に通っている人がいると思うけど、学校で習って完璧になるなんてことありえないので、最低限習ったら実地で勤めたほうが近道だよ、と。バイヤー系なら、英語はヘボくてもぜんぜん構わないので、実際の仕事についたほうがいいよ、という話。


それから輸出する側は、大手電気メーカーも募集してて、中南米で販売する仕事ですとかそういうのがあるけど、僕は避けた。かなり大変だと思う。輸出は苦労する。日本の製品は競争力があるとかいうのは信じないほうがいい。日本が輸出で優位な産業は限られるので。輸出の場合は、現地にいい協力者がいればいいけど、そんなの勤める前は分からないから。


仕事をやるなら輸入のほうがラク。何しろ売り先が日本人だから。まあ例外もあるけど、一般則として覚えておいたほうがいいかなあ。輸出でラクなのは系列商社で売り先が海外だけど日本の現地工場とかね。そういうのはいいみたい。とにかく日本人は日本人に売る仕事がラク。これはかなり堅い。

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