ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

日本一になれる?【30歳はじめての就職のあと(8)】

シリーズ化してだらだら書いています。



●日本一になれる?【30歳はじめての就職のあと(8)】



前回、こう書いた。

当時の僕は2年くらいで、そのメーカーの製品に関して日本で一番詳しくなっていた。


なんか自慢みたいなので(自慢だけど)、補足しておくと、こういうカラクリがある。


当時、そのアメリカの測定器メーカーの輸入代理店は2社しかなかった。僕がいた会社と、もう1社。


僕が入社する1年くらい前に、僕のいた会社はその会社の代理店になった。総代理店制ではなかった。

(総代理店とは、日本国内の販売権を一手に持っているということ。国内ではそこ以外からは正規には買えない。もちろん並行輸入はありえる。)


というわけで競争相手が1社しかいないし、そちらも担当営業は1人くらい。つまり、向こうに勝てば僕が日本一という理屈だった。非常に狭い世界の競争だったのだ。


僕は思うんだけど、こういう小さなイチバンを意識して取っていくのは成長のためには大切だと思う。小さいエリアから1番を取り、次に少し大きなエリアでも1番を取っていく。1番というのは、自分が好きなように領域を定義していっていいのだ。その1番で得た自信が次の成功へつながっていく。


「僕はこの製品については日本一詳しい。何でも来い。」と思って仕事に取り組んでいるんだから、お客さんへの説明も自信がでてくるので、お客さんも安心感を感じる。


もちろん、それだけの自信があるというのは、その背景に努力を多く重ねているから思えたことでもある。


その製品の日本代理店のもう1社のほうは、担当者が辞めてしまったので、販売力がなくなって販売をやめてしまった。辞めた担当者は別な会社に移って、代理権を取ろうとしたので、僕はこれを機会に総代理店になることを狙った。


メーカーと関係を深めつつあった僕は、辞めた担当者が取引を開始することをブロックする交渉をして、結果、事実上の総代理権を得た。辞めた担当者さんには悪いけど、商社ビジネスとしては総代理はカナメの部分なので、ちょっとガッチリやった。おかげで、その後のビジネスはやりやすくなった(輸入の場合、総代理権はほぼ必須だから)。とはいえ、ちゃんと理由がある。交渉力を持っていたのだ。


交渉力はトラブル解決で培われた。


この製品はトラブルが多かった。数人で作っているメーカーの品物なので品質にばらつきがあるし、不具合も発生する。そうしたときのサポート体制が弱かった。あるときの深刻なトラブルではこういうことがあった。


どう試しても制御ボードがおかしいのに、PCとの相性問題で片付けて、問題を認めないのだ。日本のPCだからダメといわれ、オススメのDellで何種類で試してもダメだった。僕はメーカーに対して、僕のほうで緻密に動作テストをレポートし、粘り強く交渉した。それでも、どうにも進まない。お手上げ状態だった。


ほとんどのPCで動かないし、どのPCで動くかも分からないし、そのPCは日本で調達しなければならなかった。そういう状況で、ほとんどのPCで動かないのを相性問題といわれては販売できなくなってしまう。一時は途方にくれかけたが、諦めなかった。これをどうしたら直すようになるかを考え、策を練った。


まず、メーカーが認めようとしない不具合の現実をメーカーのエンジニアの目の前で確認させる必要があるだろう。問題の共有化である。そのために不具合のある機器をアメリカに持ち込もう。送るだけではダメだ。別なPCでは動くと言われて逃げられたら元も子もない。また、国内入手のPCをアメリカに送るのは輸出許可がちと面倒だった。どちらにせよ、自社のデモ機器だしアメリカに持っていっても持ち帰るものなので、直接、僕が手荷物で持ち込んだほうがよさそうだ。


というわけで、どうにかして直させるために、問題となっているPCをアメリカのメーカーに持ち込むことにした。ところが、先方は持ち込まれるのを嫌がる。問題を先送りしようとするメーカーに対して、僕はこの問題の重大さを訴えた。売れなくなる、と。また、解決のためウチが出来る限り努力したいという立場で説得し、持ち込んで直させることを了承させた。たぶん、メーカーは厄介だなあと思っていたに違いない。


問題の発生しているデスクトップPC2台とノートPC1台、あと測定器本体を、大きなトランクにいっぱいに詰め込んでアメリカに行った。いまだと通関で引っかかって通れないかもしれない。まあ、ともかく、そのときは僕は必死だった。


メーカーは、シリコンバレー近くの山間のところにあり、社長の自宅を兼ねていた。メーカーの技術者社長が出てきて2日で直してしまった。やはり、ソフトウェアの問題だったのだ。ちなみに、この社長は典型的な技術オタク系エンジニアで、ニコニコしているが自分の関心のあること以外は一切しゃべらない。腕はいいが変わり者だった。


こうしてあっけなく直ったが、僕がこうして持ち込まなければいつまでも直さなかったに違いない。絶対に解決するという熱意を持って諦めないことが必要。他方、カーッとなってはダメで冷静に戦略を立てることも必要。さらに、問題にはすばやく行動するということも必要。そうして物事が解決して進んでいくということを実地で学んだのがこのケースだった。熱意だけではだめで、戦略もいるし、躊躇していたら機を逃す。熱意と戦略とすばやさの3つが揃う必要がある。



営業職というのは、単に右から左へ物売りするだけと思われることがある。だが、本当の付加価値のある仕事というのは、こういうのをやっていると僕の知る限り思う。一線を越えて出来る営業はこういうことを時折やっている。


営業はモノは作らないが、こういう形のないものを作るのが、実は大事な仕事だと僕は思っている。そういうことを意識しているか、実際に出来るかで、一線を越えて出来る営業か普通の営業かの差があると思う。売れているものを売るのは楽だ。しかしそれは正直なところ誰が売ってもいい。そこに付加価値はほとんどない。営業の付加価値はこの人でないと進まないということにある。


営業は具体的に何かを作るわけじゃない。でも、お客さんとメーカーの間をつないでいて、その両者を知り、交渉し、行動することでビジネス全体を進めることが出来る。これは調整とは違う。何か形は見えないがビジネスの形を作っているんだと思う。



そんなこんなで、いろいろなトラブル対処をし、メーカーに徹底して聞いたり、テストしたり、交渉したりすることで、そのメーカーの製品について日本一詳しいという自負が生まれたというわけなのである。


販売権を独占することが出来たのも、そういう経緯での交渉力が背景にあった。だからこそ、僕は自分自身で、その製品に関して日本一だと思っていた。交渉力はそうした見えない形を作り出す力が源泉になる。


だからこそ、小さな領域でも日本一を目指して行くのがいい。別に、港区で1番でもいいし、部内で○に関しては1番でもいい。とにかく1番を目指すということ。それが大切だと思う。



こういう形のないものを作り出す営業は、何が違うかと考えるのだが、結局、ディテールの力なんだと思う。ビジネスも現実のひとつだけど、現実ってディテールの集合体だから。ディテールが分かっているからこそ、現実を組み立てて動かせる。ディテールを組み立てる力があるから形のないものが作り出せるのだと思う。


逆にディテールをおろそかにする人って仕事できない。ほら、営業でいるよね。自分が売ってる商品に詳しくなくてもいいと思ってる人。概要だけ知っていればいいと思っている人。でもそういう人はぜんぜん力がない。何しろディテールを知らないので現実を動かす力がない。概要だけ知って売買できるのは、モノが売れて売れてしようがないときとか、そういうときだけ。誰が売ってもいいときはディテール知らなくても売れる。でもそれでは付加価値は生まれていない。単に物流の1セクションでしかない。


出来る営業は商品やサービスに詳しい。またはお客さんに詳しい。細部までおろそかにしない。ディテールに強い。だから現実を動かせる。現実はディテールの集合体だから。ディテールを組み立てて、ビジネスを動かすことが出来る。



とまあ、そんなことを今も仕事をしながら思う。



つづく。


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はてぶありがとうございます!

(「その」が多すぎて気になったのでいくつか削る。2008-06-26 21:45)