ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

グーグル様信仰について 科学技術信仰と似てる話

で、その前に、そのようなグーグル様信仰について、『ウェブ進化論』は意識的か無意識的かかなり加担しているのでそちらの話をするが、実は、内藤からすると、梅田さんの話は、テクノロジーは本質的に善だ、というような素朴な科学万能主義的匂いがしてならない。いや、もしかすると、時代を盛り上げるためにわざとそういうノリにしているかもしれないんだけど、このテイストは科学技術万能が言われた時代のノリに似てる。ただ、当時は対象がサイエンスであり、その象徴が鉄腕アトムなんだけど、『ウェブ進化論』も、科学技術バンザイが、単に、Web2.0的技術バンザイに替わったものであり、そういう科学技術の象徴である鉄腕アトムが、グーグルになっただけじゃないかな〜と思えるのである。


科学技術はすべてを救ってくれる、というようなテクノロジーに対する素朴な信頼感てのが、近年失われて久しいのだけど、久しぶりに、グーグル様という象徴とWeb2.0というコンセプトとともに、復活したんじゃないかなー、というのが内藤の印象なのである。


だから、昔の科学少年たちは、科学=善であり、科学は僕らの暮らしを素晴らしくしてくれるもの、と信じていたし、科学万能主義に冒されていた。まあこれは悪いことじゃない。ところが、現実はその夢を砕き、科学は必ずしも善ではないかもしれない、という話で科学に夢がなくなって来たのが近年で、80年代の理科系の人気低下はそういうところにあったはずだ。そうした中で、ネットという新しいフィールドが立ち上がることで、今回の『ウェブ進化論』の話も、新しい新世界について熱く語り、グーグルのテクノロジー=善、であり、グーグルは僕らの暮らしを素晴らしくしてくれる、という前提を置いて語られていると思う。素朴なグーグルへの信頼感とか神聖視というようなね。


それを前提とすると、グーグルが広告で食ってるとなると、なんだここもオトナの論理で穢れた広告企業かよ、メディア企業かよ、と幻滅する例があるようなのである。