延命治療というほどでもないが、がんステージ4で難治の場合の治療は5年生存率がそれほど高くなると見込めるわけでもない
というエントリに関連して。
コメント多くいただいた中で、延命治療について書かれていた件で、結構それは微妙なラインですよ、というのを伝えたくて書いておきます。
一般的に延命治療とは、人工呼吸器や経管栄養などをつけて本人の意識レベルも高くなかったりするような状態での延命治療のことを言います。チューブをつけてスーハースーハーしている状態。
それなら分かりやすいんですよ。本人の意思を無視しての延命は苦痛を伸ばしているだけだとか言えるし、延命治療は辞めたいという話も出るかと思います。本人の意思をどう確認するかの問題もありますけども。
そうではなくて、たとえば私のケースでいうと、すい臓がんステージ4で転移もしているので1年後の生存率も高くない。統計的に言うと1年後の生存確率50%はないんじゃないかな。5年後も言うまでもなく。
とはいえ、この状態でも治療はするわけですよ。もちろん本人が望んで。厳密には延命治療ではないのですけども、延命治療みたいなものじゃないですか。ごくわずかな5年生存への期待くらいなもので、治療実績からみてそれは高くない。そういう状態で何とかできる治療をするという状況があるという話なんですね。結構多いケースなんじゃないかと思いますけど、身体に管をつないでスーハースーハーしているわけでもない、今この瞬間はある程度普通に生きている、でもがんに侵されているので統計的に余命が言われている状態なのです。
ここで、ドラマだとどうやって描くかというと、そのわずかな治癒の可能性、5年生存のわずかな可能性にかけて、1%もしくは0.1%の可能性にかけて治療やります!みたいな、先生お願いします!みたいなシーンになるんですよね。治らない方向性に向けて一生懸命みたいな絵は描けないので、そうなるわけです。この路線の嫌なところは、標準療法でダメとなったら、0.00001%の可能性でも賭けるという選択肢が出てきてしまうことですね。代替療法とか治験とか。まだ研究中なんだけど、とか。とにかく生存の望みへ可能性が限りなくゼロに近くても挑戦するのが善という描き方になるから、そういう問題の解き方になると思うんですよ。でもそういう解き方だけじゃないよね、と思ったんですよね。自分が実際に難治の状態になって。
それで私は治療によって5年生存できたらラッキーと思っていますけど、あんまりそこまで期待してはいなくて、まずは1年生きられたらいいな、1.5年生きられたらいいな、くらいを期待しています。病気の進行を少し抑えられればそこまで行くんじゃないかなと。そしたら今の自分の子供が5歳だから小学校入学式くらいまで持つかなとかね。あと、そこまで時間が引き延ばせれば、妻子にいろいろと伝えたいことを文章や音声で残せそうだし、いろいろ自分の身の回りの始末も出来そうだと思って治療を受けています。ちなみに受けている治療は先進医療も含まれています。「先進医療」は厚生労働大臣が認める医療技術で医療機関が限定して行われているものです。つまり治療に関しては、難治ですがとりあえず国内で最善と言えると思います。
というわけで、私の場合、治療については完治ということはそもそもがんではありえないので、5年生存というところを目標になると思いますが、それを目標にしているというよりも、死ぬまでのQOLが少しでも良くなるように、ということで受けています。
[死ぬまでの期間] × [その間の生活の質] の最大化 です。
死ぬまでの期間を少し伸ばし(ある種の延命)、その間に病気で起こる症状を抑え、生活の質を保つことなんです。
まあ、結局おそらくは死ぬことになるんですが、結局死ぬんだから、対症療法も含め、何も治療しないのでは、死まではより短くなりますし、いろいろ症状も出て生活への支障が大きくなります。その微妙なバランスというか、得られるものはすごく大きいわけではないんですが、そうした中で、治療を受けることを決断していくということになったわけです。少なくとも私の場合は。
なので、人工呼吸器や経管栄養のような状態の延命とは違う、かといって、わずかな治癒の可能性に賭けるというのでもない、延命的な治療を受けるという状態があるよ、ということを伝えたいなと。自分がそういう状態になったので。効果があるかすごく期待できるわけではないですが、先進医療を受けているので私はラッキーなほうではあるんですが。
特に、標準療法で治療法があまり良いものがないとなったときに、わずかな治癒の可能性に賭けるというマインドだと、もっと確率の低い代替療法に賭けたくなってしまうと思うんですけど、それは宝くじに近くないですかと。それより、死までの期間のQOLをどうするかのほうが当人的には有用なんじゃないかなと。どちらにせよ死はやってくるわけです。
まあ、これって別にがんじゃなくても、人はいつか死ぬので、死までのQOLというのは誰にとっても同じ課題なんだと思います。でも人間はふだん、死については考えないようにしているので、こうやって病気によって死に対面させられると改めて意識することができたんですね。世の中では、なんだか分からないうちにポックリ死ぬというのは理想みたいに言われますが、私はなんだかわからないうちにポックリ逝くよりは、自分の死を眺めながらいろいろ考えて死にたいなあと思うんですよ。この2か月でやはりいろいろわかってくることも多いですし。わからないうちに死にたくはないなあと。たぶん死の瞬間、直前も何かわかることがあると思うんですよね。ああ、死ぬってこういうことか、と。まだ実感ないんですけど。
今後は外来で通院して治療受けつつ、仕事を並行してやる感じです。
病気になっても人生はそこで終わるんじゃないんですよね。続くのです。