ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

頑張るとは健康と引き換えに何かを得ることではないのです

頑張るとは健康と引き換えに何かを得ることではないのです
俺の身体がバラバラになろうとも、この試合には勝つ!走りぬく!

こういうマンガのシーンてありますよね。ドラマでも小説でも。

これ、仕事について言うと徹底的に間違ってますが、結構、不器用な人は勘違いする人が多いので書きます。かなり大事です。


「ウツなので頑張れないんです」「身体を壊して頑張れないんです」とコメント欄に質問を貰うんですが、そんな風に『頑張る』必要はないんです。『頑張る』にすごく誤解があるんです。


マンガや小説、ドラマなどのフィクションの影響のためか、私たちは何かを犠牲にしないと何かは得られないと思い込んでいます。なので、『頑張る』ことを、何かを犠牲に(主に身体や精神)することと思い込んでいる人がいるんです。


例えば、今の自分にはすぐに得られないような成果を目指す場合、身体とか心か何かを犠牲にすることで得られる、と思い込むことがあります。小説とかマンガとかそんなのばかりですよね。話としては面白いのですが、現実はそうじゃないんです。


自分に合わない仕事でも頑張って頑張って働いて、身体壊した、とかね。でもそれは間違いだと僕は思っています。


人生で最も大事なことは、自分の身体を大切に使って長持ちさせること、なんです。


これ以上大事なことはありません。身体の機能を損なうようなこと、寿命を短くさせるようなことは、決定的に間違っているのです。


そもそもね、自分の身体壊して得られること、ってありますか? 身体というのは、クルマとか印刷機みたいなものです。ある種の生物機械です。壊したら、クルマなら走れないです。調子悪くしたら、遠くまでいけなくなるのです。お金の印刷機としても、壊したら刷れなくなりますよね。お札印刷できないですよ。


僕たちがやるべきは、自分の身体をいたわり、メンテナンスして、何年経っても最高の状態を発揮できるように、性能を維持することなんです。使ったら休めて壊れるまで使わない。壊れたらすぐ修理する。それが日々のやるべきことです。


僕たちがやるべきは、同じ負荷でも、もっとアウトプットが出るように身体の操作方法を工夫したり、疲労が溜まらない操作方法をしたり、身体の休め方を工夫して疲労が蓄積しないようにしたりすることなんです。


今の人生では40-50年は働かないといけません。いかに身体を長持ちさせて、50年働けるようにするにはどうすればいいかを考えることが大事です。身体を50年使うというのはとても大事です。


例えば、僕はすごく健康には気を使ってます。風邪もできる限り引かないし。身体を温めて寝て、疲れを取る方法とか、熟眠の仕方とか、鼻のうがいとかね。胃のために、夕食では生野菜のサラダを欠かさないとか。精神的な気分転換は、帰ってきたらドラマ見て頭を切り替えたり、酒飲んだり、感謝を唱えたり。毎朝ストレッチは欠かさないし。朝はクエン酸黒酢取るし。たまにLシステインをうまく取ったり、そりゃいろいろ工夫してます。効果があるかどうかもありますけど、そういう工夫を重ねていくことで全然違います。夜のうちに疲れの9割は取ってしまう。だから翌日もフルで働ける。僕は毎日4時間寝れば、毎日13時間、週5日は問題なく働けます。身体も壊さない。5時間寝たらたくさん寝たなー、と思うし、11時間労働になると楽だなー、と思います。


つまり、頑張る、というのは、身体を壊す、のとは、まったく違うことなんです。仕事を頑張るというのは、身体の使い方を工夫してアウトプットを増やすことであり、メンテナンスの仕方を工夫して、毎朝完全な状態に戻す技術なんです。機械が壊れるまで使いました、というのは、クルマで言うと、素人の運転手なわけです。クルマで例えると、プロは運転はうまいし、速いし、安全だし、夜はメンテナンスを欠かさず、クルマを長持ちさせるんです。


だから、私はウツだから頑張れないとか、病気だから頑張れない、なんて心配は要らないんです。ウツならウツで、身体や頭の使い方を工夫してアウトプットを増やすことであり、メンテナンスして状態をウツなりの状態で回復させることなんです。病気なら、身体を修理しつつ使う。慢性なら、悪化しないように使う。身体が長持ちするように生きる。それが大事なのであって、世の中のフィクションにだまされてはいけないと思います。


とにかく、頑張る=何かを犠牲にする、というのは120%間違いだということを強調して強調してもしきれません。何かを犠牲にしなくてもアウトプットは得られるんです。自分の身体を長持ちさせる以上のミッションは私たちの人生には与えられていないんです。


ホント、超超超強調しておきたいことです。まあ、僕の個人的な信念なんですけどね。


俺の身体がバラバラになろうとも!なんて、ドラマだけでいいんです。



では、自分の身体を長持ちさせることの次に大事なことは何かという話を次へ。



(余談ですが)

この「何かを犠牲にすることで何かを得られる」というのは、私たちにかなり深くまで染み付いた考え方です。いけにえと同じです。

要は「贈与」の仕組みと同じなんです。貨幣経済の前の仕組みです。

「贈与」のうっとおしいところは、贈与されちゃうと、返礼の義務が発生することなんです。等価なものを返礼する必要が生まれるのです。個人間でも、これこれしてやったのに、という不満の生まれるもとですね。

これを未来に対して行うのが、今回の「身体を壊す」というイケニエの贈与だと僕は思います。未来に対して返礼を期待するわけです。しかし、贈与というのは人間にしか効きません。神様には贈与は効かないと僕は思っています。