ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

広告を使って売上を上げる【30歳はじめての就職のあと(7)】

つづきです。



●広告を使って売上を上げる【30歳はじめての就職のあと(7)】


さて。ヒットを連続して飛ばして、コイツはやりそうだ、というところまで持ってきたのだけど、営業はそんなカンタンには解決しなかった。


やっぱり今も思うけど、営業は出来るようになるのは難しい。いや、ソコソコの営業は、まあまあがんばっていれば出来るようになる。


でも、商談の場を支配できるような営業になるのはかなり限られる。営業力が本当の意味で一線を越えると、その人が入ることでその場の雰囲気が変わって、商談の方向を自在に動かせるようになる。これはホント。僕も出来るようになってその感じが凄く分かる。


この会社に勤めている時代でそれが出来る人は何人かいた。どうしたら、そういう風に出来るんだろうと常に意識しながら仕事をしていた。今でも出来る営業とは何かについての説明は難しいんだけど、とにかく自信があるということかなと思う。


どういう状況でも何とか出来るという経験と見極め。そこから来る自信があることでリラックスしたまま、お客さんとの場の空気をコントロールできるようになるというか。自分から発するある種の心理的圧力なんだろうと思う。その圧力をお客さんは感じて、でも、それが不快じゃない。いくつかの言動から、相手の自信と分かって信頼してくれて場のコントロールを任せてくれるというような感じかな。ベテランのマッサージ師みたいなものかもしれない。


結局、ビジネスというのは、当事者にとっていつも未知なんだと思う。僕らはまだ実現していない未来に向かって仕事をしてる。僕らもどれひとつ同じものはないから未知だし、お客さんにとっても未知のケースが多い。お客さんも探りながら進んでいる。それだからこそ、経験に基づく自信を発する人というのは、圧力も感じるけど、任せられるという魅力になるんじゃないかと思う。


あと、出来る営業の人は創造的だ。道を新たに作れる人。決まりきったことを決まったようにするんじゃなくて、その未知の取り組みに対して、新しい解決法を考え出して実行できる人。昨日の繰り返しだけが得意な人って出来る営業になりきれない。そういう人は現場を離れたがることが多い。



とはいえ、そういう営業力は最終目標としても、当時の僕は回避して成績を上げることが出来た。やはり、自分の得意な有利ハンデを使って勝負するのである。


10月に入社して半年が経過した翌年の3月ごろ、僕は危機感を感じていた。


僕は手持ちのお客さんが少なかったので、とにかくお客さんがいないのである。暇なのである。


定期的に注文をくれる研究室などのお客さんを持っている先輩や、メーカーのOEM納入先をもらっている先輩の営業のことはイイナアと少し思った。


僕はそうしたお客さんが少なかった。かといって、じゅうたん爆撃のように研究室を訪問して回るとか僕に向くやり方ではなかった。それでは僕に勝ち目はないような気がした。


まずは自分のお客さんの確保だ。どうするか?

雑誌広告で独自に集めようとした。上司を説得し、専門誌に毎月1pの広告枠を得た。ウェブも社内で制作しているSさんに協力してもらって、SEOを意識してネット上の集客も工夫した。


そこに、最初に引継ぎを受けたPCを使った計測器と、見つけてきた天然ダイアモンドを使った検出器の広告を出し始めた。また、その集客は僕のメールアドレスに届くようにした。これは社長も賛成してくれたので助かった。それで集めた引き合いは僕に集中するようになった。


この会社は、お客さんに営業が付くので、製品に付く営業は珍しかったが、特殊で皆が敬遠している商品ということで、そういう社内で珍しい、商品を中心とする営業のポジションを取ることが出来た。こういう自分のポジション確保というのも結構重要な社内運動のポイントである。


僕は、自分の活動のうち、「商品知識がつけばつくほど、売り上げがあがる」、という自分にとって有利な図式に持ち込もうとした。


広告は2ヵ月ごとくらいに訴求方法や、写真などいろいろなパターンを本やチラシを参考にしながら工夫した。媒体の違いも分かってきた。明らかにレスポンスがない媒体もあり、レスポンスがある媒体に絞り込んだ。また、自社取り扱いの機器の特性も理解して、マーケットの中でも自社製品が強いニッチマーケットを割り出して、そこに絞り込んだ訴求するようにした。この用途なら競合に勝てるという分野に絞り込んだ。


また、メインで売ろうとしていた測定器は、使い方や選び方が難かしいという難点があった。それをお客さんに説明していきながら、研究した成果を活かして、1年後には説明用の小冊子を作った。広告では、まず売ることよりもセレクションガイドを請求してもらうようにした。つまり、2ステップセールスである。この小冊子を読むと、自社の得意な測定がはっきり分かるように書いておいた。


小冊子でも、実際の営業トークでも、自社取り扱い機器が不得意な分野については、他社製品を薦めた。当時から僕のスタンスははっきりしているが、お客さんには自社品が苦手な分野について無理に進めなかった。結局、無理に売っても、その測定は苦手なんだから、お客さんにとっても不幸だし、買ってからも不満が募る。そんなことしていいわけがない。


これは割合とうまく機能して、2年目には月に500万円くらい売れるようになった。どぶ板営業をしなくても売れるようになったわけである。


売り方の工夫はすごく大事で、自社の強みと弱みを分析して、自社の商品が強いマーケットを割り出したり、プライシングを工夫したり、広告の訴求をしたり、カタログや説明書を工夫したり。そういうもろもろも皆作った。売る工夫をしない営業も見たが、そういうのは運だのみ、時勢だのみに過ぎなかった。


こうやって売れ出すと、うらやましがられて、群がられる。2年目はケンカ覚悟で自分の商圏は死守した。だって「オレにも売らせてくれよ〜」とか言うわけである。でも、その営業手法はカタログをお客のところにデリバリーするだけの営業だ。そんなのに売らせてたまるか!である。お客のもとで自社製品の優位性を説明できない人間が売ってよいわけあるまい。


当時の僕のいた会社は、営業が知識ないということで知られつつあって、状況は悪化しつつあった。一度は、同僚のお客さんのところに客先同行して、先方でデモして説明したあとに、名刺交換したら同じ会社であることに驚かれた。「その製品の日本法人の人だと思った。○○社にもこういう人がいるんだー。」嬉しいやら、悲しいやらである。というわけで、当時の僕は2年くらいで、そのメーカーの製品に関して日本で一番詳しくなっていた


僕は、モノを売るならその製品のプロになるべし、その製品に通暁して業界トップレベルになるべし、と考えている。素人から買わされるお客さんがいい面の皮だ。そもそも売り手というのは、同じ製品を何度も売るわけである。詳しくなれない訳がない。詳しくならないのは、「面倒」とか考えて、売るたびごとにある勉強の機会に学ぼうとしないからだ。そういう不勉強な営業が、売り上げ数字だけ欲しいなんてのはどうにかしないといけないと思う。


僕の年間売り上げは、2年目は売り上げ6000万円くらいと健闘した。3年目で9600万円くらいと割合と短期間で一人前になれた。この会社では年1億円くらい売ると一人前の顔ができる感じであった。粗利が40%くらいあったから。会社は元が取れた感じだと思う。


当時の僕の自慢は、この売り上げのほとんどがスポット販売であること。OEMの契約を引き継いでの売り上げがほとんどないのが自慢である。まあ逆に言うと、常に引き合いを集め、説得し販売し、納品し、修理サポートするというのを繰り返していたので、大変ではあった。




僕は、対人的な営業力については苦手だった。だから、勝負はそこは避けて、商品知識や説明、広告手法といった僕の得意な分野で勝負をかけて成績を上げた。自分の得意分野で勝負したのだ。


営業方法については、平行して身に着けた。


ごくたまに同行したときの先輩の様子を見て覚えたり、あとは営業本を買ってきて、〜すべし、とあったら素直にやってみることにした。だから僕の営業力はほとんど本と実践のフィードバックで培われている。これは後でかなり伸びた。というのも、ベテランのノウハウの数百人分を頭に叩き込んだので、さまざまな状況下で最適な答えが出せるようになったのだ。とはいえ、それは5年くらいかかることになったけど。


人間的な営業力は割合と育つのに時間がかかる。とはいえ、意識的に上達のための訓練をやらないと決して伸びないのも営業力だ。僕は、本で読んで素直にやってみることも是非進めたい。というのも、会社の先輩や上司が常に最高の営業マンとは限らないから。皆、結構我流なので、逆に本で読んで実践していくと客観的な営業スキルが身に付く。学んでいくと、ある日を境に一線を越える日があって、そうなると格段に出来るようになる。だから、こっちもコツコツとやっていくといいことが必ずある。




そんなこんなで、次あたりにトラブル対応術とかを書いてみようかと。

  • -