ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

人生の棚卸の時期にさしかかって


昨日は夜に服を整理しました。着ない服、もはや、かっこわるい服を思い切って処分しました。ごみ袋に4つになったのを捨てたら洋服たんすも気持ちもすっきりしました。


服というのは、それなりに着れたり、買ったときに高かったとか思っていると着なくなってるのになかなか捨てられなかったりします。


そういう着ないのに捨てられない服を多く持っているといろいろ不便なことが起きます。うっかり着てしまってかっこ悪い自分になったりして自分の見た目の価値を落としてみたり(見てる人は服を良く見てるものです)、そういう服があるから何を着るかで余計に悩んだり、着ない服を持っているせいで、新たに良い服に入れ替えられなかったり。


服というものは着ないなら、今となってはかっこ悪いなら、迷わず捨てるべきなんです。捨てることで、自分の洋服たんすがすっきりします。また、今に合ったかっこいい服を買って入れる余地が出てきます。


人生も似たようなところがあって、過去に思い入れあるスキルとか習慣とか記憶とか、生きているといろいろ溜まってきます。そのどれもが価値あるように見えるんですけど、実のところ服と同じで、今となっては役に立たないものとか、不要なものが多く含まれていると思います。


こういうのは一度思い切って棚卸して、本当に必要なものや、自分が次に持っていくべきスキルや習慣は何か、いったん見直す必要があると思うんです。


実は最近、自分自身を振り返る話を書いているのはそういう人生の棚卸の意味があるんだろうなと思って書いています。もともと、これは違う意図で始めた偶然でした。



私は30歳近くで就職してからひたすら突き進んできました。あまり振り返ることがなかったし、振り返らないようにもしていました。振り返って思い出に浸るのは引退してからにしようと、とにかく恥をかきつつ、恥は掻き捨てでがんばってきたんです。


ところが、この一年くらい新入社員の部下を持っていろいろ教えるうちに、部下の子が、私が最初から何でもできると思っているなあと思ったんですね。いや、正確に言うと今の会社のヒトは私がそういう出来ない時代があることを知らなくて、如才なくうまくやると思っているみたいです。


でも、私には、部下の新入社員の子よりも30歳にして出来ない時代があったということ、そして工夫と努力で出来るようになるんだよ、と伝えることが必要だと思ったんですね。


それで社内のブログでここに書いたようなことを書き始めました。


最初は恥をしのびながらだったんですが、それは意外にも私自身に対してすごい効果がありました。つまり、意図しなかったものの、結果として人生の棚卸になったんです。今まで自分はどういう状況で、そのときどう考え、どういう意図で手を打ってきたかということを振り返ることが出来ました。


振り返ってみると、そのときどきで、ホント自分でも意外だったんですが、驚くほど戦略的にやっているんです。当時はとにかく必死で、そのときに良いと思える策を打ち続けてきただけなんですが、後から振り返るとどれも意味があるのです。


たぶん、手を抜かないでいつも真剣だったというのが良かったのだと思います。いつも真剣に最善を考えていました。その時々で自分の中で考え抜いて答えを出していたのが、今につながっているんだなあと思います。


今、次の段階に行こうとしていて、ちょうど振り返るタイミングだったんだなあと思うのです。人生の棚卸の時期にさしかかっているんだろう、と。そういう運命的なものを感じます。


人生の不思議なところは、こうやって、そこまで戦略は立ててないのに、その時々で最善策を汗をかきながら考えると、結果的にそういう風に道が出来ていたようになることです。たぶん、自分が進むべき方向性なんかは自分の中で常に意識があって、それに合わせてその時々で最善策を考えることで、いつの間にか道になっているのかなと思えます。


あとは、こういうものには運命的なものも少しあるような気がします。人生は流れがあって、ある方向に引っ張られることがあるような感じなのです。ここらへんは科学ではないのですけど、たぶん30代以上くらいの人だと、なんとなくそういうのがあるような感じというのは分かる人もいると思います。運命が実在するかどうかは何ともいえませんが、ないとは言い切れないというところでしょうか。そういう意味で人生はまだまだ不思議な部分があるように思えます。


まだまだ、書き物のシリーズは続きますが、そういう流れがあってこれを書いているというお話をしておきたいと思いまして書いておきました。


私の体験した経験とそこから得た知恵は、私には役立ちました。窮地から救われました。次はそれは誰かに役に立つためにあるんだろうと思います。それが私がここで書く理由なのだと思えるのです。


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