ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

2005-06-26 (1) ビジネス本の傾向と対策


  ビジネス本というのはいろいろな種類があるのだけども、それを内藤はこんな感じで分類して対策 (対策ってのは変だけども) している。それは、「企業紹介本」「経営者本」「学者本」「経験者ハウツー本」「コンサルタント・ハウツー本」「成功本」「精神世界本」である。まあ実際は、ハウツーであり経営者本であったりとかの組み合わせもあるのだけれど、とりあえずこんな感じで分類してみている。



「企業紹介本」

  「企業紹介本」は、ある企業を取材したもので、その企業紹介を目的としたところが特質である。著者は、ライターさんであることが多いが、当該企業の全面協力の下、充実したパンフレットになっている。ある企業が急成長していたり、好業績だったりすると、その企業はどんなか知りたいというニーズと、その経営者の自慢と、リクルーティングのための広報などのいくつかの要素が合わさって作られるように思う。その企業について知りたいというときにはいいかもしれない。ただ、表面をなぞった本がほとんどなので、面白みはない。


「経営者本」

  「経営者本」は、著者が企業の経営者であることが特質である。そして、自社のビジネスモデルやら設立から今に至るまでを題材として書かれている。日経新聞連載の「私の履歴書」みたいなもの。ただ、あれはお行儀が良すぎてつまらないことが多いのだが。類似した本に、企業の一部門の成果を当事者がまとめた本というのもある。ただし、それほど多くない。


  例としては、最近では「渋谷ではたらく社長の告白」(藤田晋 著)とか、少し古いが「おやんなさいよでもつまんないよ」(松井道夫 著)とか、「デルの革命」(マイケル・デル 著)など。ユニクロの柳井さんのもあった。たくさんあるので、これくらいで。


  経営者本の醍醐味は、独自のビジネスを築き上げた経営者自らが自らのビジネスを語るところである。優れた経営者は、自社のビジネスについてその本質を鋭くつかんでいるので、それについて端的に語る言葉を持っている。それが他のタイプにはない最大の価値である。


  特に、読者としては、自分とは異業種の優れた会社の経営者本を読むと、自社や自分の業界に活かせるヒントがしばしば見つかることがある。また、今に至るまでの苦労などを読むと、似たようなことで悩んだんだなあと共感したり、その解決方法からヒントを得られたりもする。


  ただし、それらは優れた経営者本のことであって、優れていない経営者本も多い (いちおう書くが、経営者としては優れているかもしれないが、本としては優れていないという意味で)。優れていない経営者本のひとつの特徴は、客観性のなさ、である。自社のビジネスについて本質をつかむというのは自らのことであるからなかなかに難しい。自分のことは客観視するのが難しいのである。だから、自社のよさ、優位性などが明確にされない。


  優れていない経営者本のもうひとつの特徴は、本当のことを書かない、である。競合との対策上、自社の優位性の源泉について明らかにしないことがある。とはいえ、優れたビジネスは、その優位性の源泉は、分かっても競合は簡単に真似できないから、優れたビジネス足りえていることが多いのだが。また、世間に公表するということもあって、建前を書きがちでもあり、それゆえ本当のことを書かないというのもある。


  では、選び方であるが、目次をめくってみて、そのビジネスの核心を端的に述べてあるページを探す。そこを読んで感銘を受ければ買い。また、ビジネスがうまく行かなかったときについて書かれたページを探して、そこで正直に書いてあれば買い。一般論しか書いてなければ無駄。



「学者本」

  「学者本」は、大学の教授が著者であることが特質である。企業経営を研究している教授が、優れた経営とは何かについて研究した成果を発表したものである。


  例としては、いまや古典となりつつあるが「ビジョナリーカンパニー」(ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス 著)、「イノベーションのジレンマ」(クレイトン・クリステンセン著)など。古典では、ピーター・F・ドラッカーの著書がある。ただ、古典といっても、サイモンとかまで戻ると実用性がないので除く。最近では、「オープン・ソリューション社会の構想」(国領二郎 著)や「日本のもの造り哲学」(藤本隆宏 著)が良かった。これもいろいろあるので、このあたりで。


  学者本の醍醐味は、緻密な研究と調査から導き出される新しい概念や判断基準が学べることである。われわれはつい、分かりやすさに走りがちなので、物事を手持ちの概念でとりあえず分析して理解しようとしてしまう。その点で優れた学者さんは、本当にそうか?、という問いを立て緻密に調査研究して、新しい知見にたどり着いたりする。そういう成果が学べるのが他のタイプの本にはない最大の価値である。


  こちらも当然であるが、それは優れた学者本のことであって、優れてない学者本はとても多い。優れていない学者本はいくつかパターンがある。


  ダメ学者本(1) 太鼓持ち
  このタイプは定評のある優秀企業を分析対象にしている。書かれる内容は、とにかく優れているから優れているのだ、というものである。理屈が後づけで、ろくに調査していないし、新しい知見がない。ありふれた分析にありふれた結論である。学者というのは社会の疑問に答えるという使命があるが、悪い形で答えているのがこれである。似たタイプに、もう日本はダメだ、とか、日本はどんどん伸びる、とか、中国はこれから凄い、とか、とりあえず今言われていることをまとめたという本もある。それらはとにかく総論的であり緻密な調査研究の痕跡がないのが特徴である。


  ダメ学者本(2) 造語屋
  このタイプは、自分が新しい用語を作って普及させたいと思っている。もちろん優れた学者本も新しい用語を作り出すが、それは必ず、その用語でなければ表せない新しい概念がセットになっている。ところが、別に新しい用語を使わなくてもいいのに、旧来からある事象や概念に新しい名前をつけて、まるで新しい知見かのように装う学者がいる。無駄に用語は増やすべきではない。世の中を更にややこしくさせてどうする。オッカムの剃刀だ。


  ダメ学者本(3) 言い換え屋
  このタイプは、有名学者の研究成果を自分もなぞる形の本を出す。自分なりに学習した内容をまとめて言い換えているのだが、元の本よりも分かりやすくしたつもりが、躍動感が失われて、逆に分かりにくくなっている。この手の本はときどき「入門」などと名前がついているが、下手をすると原典を読んだほうが面白いし理解が早いことがある。まず最初に原典を読んだほうがいいのは、こういう本に当たる可能性があるから。


  では、選び方であるが、これは簡単だ。定評のある本以外買ってはいけない。これに尽きる。学者本は、新しい概念が提示されていて読むのに時間がかかるので、ハズレを読むのはかなり時間の無駄になる。そして、この手の本は出版されて1-2年でかならず定評が確立する。それから読んでも損ではない。目立たないけど、優れた学者本というのは極めてまれ。



「経験者ハウツー本」


  「経験者ハウツー本」は、著者が、その内容についての経験者であることが特質である。自らが行っていたビジネスについて、そこで学び得たことを伝えるべく本を書くというパターンである。経営者本に近い部分もあるが、著者が現在もその職にあるか、その分野のコンサルタントになっているケースが多いし、書かれる内容は、特定のノウハウに限定されるので、内藤は分けて考えている。ただ、このタイプは次のコンサルタント・ハウツー本と重なる部分が多い。


  例としては、「実録ファッション販売員の奮戦記」(兼重日奈子 著)、「ここに頭を使えば思うままに売れる!」(ロバート・L・ショールズ 著)とか。セールスとかマーケティング本が多い。やはり実地でやるノウハウで、それを直伝するものだからと思う。また、「日記の魔力」(表三郎 著)とか、「質問力」(齋藤孝 著)なんかもこれに含まれると思う。齋藤さんは大学教授だけど、この人のひとつのテーマは自分が苦手だったことを克服したノウハウを皆に伝える、というところだと思うんだよね。その点で、経験者ハウツー本に分類したい。


  「経験者ハウツー本」の醍醐味は、その分野でトップクラスだった人から本を経由して直伝でそのノウハウを教わることが出来ることである。特に自分がその職についていたり、それに取り掛かっているときに、強力な先生として学ぶことが出来る。常に自分の周りにいい先生がいるとは限らないからだ。その分野でトップレベルのノウハウが個人教授で学べるというのが他のタイプにない最大の価値である。


  こちらもダメな本はあるが、判断は容易だ。自分の実感として役に立つか立たないかで判断できる。自分の知りたいことを探せば、それにあった本が見つかるはずだ。



コンサルタント・ハウツー本」


  「コンサルタント・ハウツー本」は、著者が、コンサルタントであることが特質である。自らがコンサルティングしているビジネスについて、著者のノウハウ(=仕事のタネ)を一部公開している。その分野の元経験者がコンサルタントになっているケースも多いし、純粋にコンサルティング専門で、流行の分野に次々と鞍替えしている人もいる。そのため、前項の「経験者ハウツー本」に近い部分がある。特徴としては、同じ著者がたくさん本を出しているという点である。


  例としては、中小企業のコンサルティングで有名な神田昌典さん、ワクワク系の小阪裕司さん。ランチェスター経営の竹田陽一さん。船井総研の五十棲剛史さん。今はミスミのCEOの三枝匡さん。あの有名な大前研一さん。海外では、マーケティングで有名なジャック・トラウトさん。セス・ゴーディンさん、などなど。本の数では一番多いかもしれない。やはり、この分野で本と講演とコンサルティングで食べている人が多いので。


  「コンサルタント・ハウツー本」の醍醐味は、その分野でトップクラスのコンサルタントの英知を本を通して学べる点である。さすが、これを商売にしているだけに、その分析のキレも良く、時代の空気を鋭敏な感性でうまく切り取った新しい知見も (学者ほどの緻密さではないが) 得られる。それぞれの分野でトップクラスのコンサルタントのノウハウが個人教授で学べるというのが他のタイプにない最大の価値である。


  こちらも当然であるが、玉石混交の世界である。また、ある先生を信じる信じないの世界でもある。学者本とコンサルタント本で優れた本の共通する特徴は、新しい概念の提示、である。ただし、学者本はあくまで学術なので緻密であり、その分、分かりにくいし、適当なことは書けない。しかし、コンサルタント本は、とりあえず実用性がありそう、という判断でずばりと書ける。それゆえ、切れ味が良く面白いのだが、本当にそうか?、という部分はある。だから、理論の信頼性という点では不確かな部分が多く、それを信じるかどうかで判断が分かれてくる。


  優れていない「コンサルタント・ハウツー本」というのは、いろいろな形がありえるし、ある人にとってはAさんが神様のような存在でも、別な人にはそうでない、というのはよくあるので、ケースバイケースで判断するしかない。しかし、とりあえずやめたほうがいいコンサルタントというのはいる。依頼されればどんな内容でも書いてしまう人。NLPが流行ればそれ、聞くことが流行ればそれ、コーチングが流行ればそれ、と、とにかく次々と薄い内容で書きとばす。いくつか本を読んで、それに自分の経験を加えて書いているように内藤は感じる。でも、まあそれすらも、入門書としては使えることがあるので、なんともいえない。単純に、自分にとって心に響くかとかそういうところで決めるしかない。気に入った人が見つかれば、その人の本を探して読んでみるのもいいし、時間が経てば、つまらなく感じることもある。例えば、大前研一さんは、昔は大好きだったし、今でも「企業参謀」のころの論理のキレは素晴らしいが、最近はそれほどでもないと感じる。


  ときどき、こういうコンサルタントの書く本は、営業のための本なので、大事なことが書いてないという人がいるが、そうでもないと内藤は思う。内藤の読む限りでは、いい「コンサルタント・ハウツー本」は、十分、いろいろなノウハウを教えてくれる。優れたコンサルタントは、ネタがいっぱいあるので、露骨にケチったりはしないのだろう。たまにケチった本を見かけるが、あれでは営業にならないと思う。というのも、本で読むのと、実地でコンサルティングを受けるのはぜんぜん違うと思うので、コンサルティングを依頼する経営者は、本で読んで済んだから依頼しないというわけではないと思うのである。とはいえ、実力のない同業に盗まれるのかもしれない。


  あと、こういう本は、講演テープも売っていたりする。内藤もいくつか買ってみた。よく、宣伝文句には、本に書いてないノウハウが!!とか書かれているが、あんまり気にしなくてもいいと思う。テープ聞け聞け、というのも無視していい。本を読みなれない人はテープ買って聞くといい。内藤は本を読むと著者息遣いが聞こえてくるので、あんまり必要性は感じなかった。また、営業でクルマをずっと運転している人なんかは、移動中に聞けるので、その場合は結構いいかな。また、自分の気に入った著者のテープは買うと、著者の声が聞けて、人柄も感じられるし、親しみが湧くのでいいかも、とか思う。それで気に入ったら、講演に行くのもいいんじゃないかなー。ただ、別にそれで「ミラクル」が起きるわけじゃない。テープを買ったり、高い教材買ったり、講演に行ったりすることで「ミラクル」なことが起きることはないと思う。これは内藤の基本的な考えだけど。「ミラクル」は日常に起きる。


  では、選び方であるが、うーん、なんともなー。とりあえず、書店で手にとって読んでみること。それで、自分の今の課題についてヒントを与えてくれそうなら買い。買って読んでみて、気に入ったことは即実行。それで効果が出ればよし。出なければ別な本を探しつつ自分で工夫。評判の本は読んでみる。気に入った著者が出れば、その人の本は全部読んでみる。アマゾンで買うなら、その気に入った著者の本と相関の高い本も分かるので、それも書評を読みつつ買って読んでみる。当たり外れがあるが、まあそれは仕方ない。自分にとっての当たりにぶつかれば、それがブレイクスルーになったりするので、日々のビタミン剤的な使い方が一番いいと思う。




「成功本(成功疑似体験本)」

  「成功本(成功疑似体験本)」は、お話仕立てで、いろいろな教えを受けつつ主人公が成長し、成功していく過程を読者がともに疑似体験できることを特質とする。読んでいると、「ああ、俺もこうやって成長できるかも!!」と、幸せな気分と、ワクワク感をもらえる本である。そこで書かれている「教え」通りにやればいいのか、と思えるのだ。


  例としては、「金持ち父さん貧乏父さん」(ロバート・キヨサキ 著)、「成功の掟」(マーク・フィッシャー 著)、「ユダヤ人大富豪の教え」(本田健 著)、「ホワンの物語」(R・J・ペドロ 著)、「「稼ぎ力」ルネッサンスプロジェクト」(渋井真帆 著)、などなど。


  「成功本」の醍醐味は、読んでいくと成功者になる心の高まりを味わえることである。加えて、いろいろな人生上の教訓なんかも学べたりする。子供のころ、冒険物語を読んで心を躍らせた気持ちが大人になって味わえる。そういや、中学生になったころヴァン・ヴォクトの「宇宙船ビーグル号」を読んでワクワクドキドキしたっけなあ。あの気持ちはまだ思い出せる。醒めた大人になってから、心を躍らせる気持ちを思い出させてくれるのが、このタイプの本の最大の価値である。


  まあ、このタイプの本は、信者も多いし、一般に定評のある本を読むと良いと思う。大切なことは、醒めた心に火をつけるために読む、ということ。人生なんてどうせ、なんて思ってる人はぜひ読んで燃えてください。今日は昨日の繰り返しのためにあるんじゃないんです。自分の人生のコントロールを取り戻すためにも心は熱くしてください。そのために読むと良いのがこのタイプの本です。


  ただ、本の中で、いろいろと良いことが書いてあるわけですが、それだけをやっていれば成功できるというものでもないことは確かです。お話は単純化されているので、勉強や工夫はほかにいろいろと必要です。だから、こうした本ばかり読んでいてもダメだし、繰り返し読んでも、だんだん感動が薄れてきます。気持ちが弱ったときに読む。これがこうした本の使い方だと内藤は思うのです。



「精神世界本」

  「精神世界本」は、心のあり方、人生のあり方について書かれた人生哲学本であることが特質である。スピリチュアルっつーか、波動っつーか、エヴァっつーか、ツイてるっつーか。


  例としては、斉藤一人さん、中村天風先生 (ここだけ先生なんだけども(笑))、あと、僕は信奉してないけど、船井幸雄さんとか。


  いやー、このタイプの本は紹介が難しい。こういうのは理屈じゃないから。ただ、内藤も34歳になって、もうしばらくすると、普通に生きてて人生の折り返し点に近づくんだなあとか思う。そうなってきて、精神世界の重要性に気がついたというか、そういうのは必要だなと思ったという話なのです。


  臨死体験とかしない限り、20代だったら、自分が死ぬことなんて考えないですよ。また、まだまだ無限の可能性があるとか感じたりします。でも、30代になると違う。1年ごとに、自分が築30年の身体を感じます。老いるというほどではないけど、「ああ、ケアしないとなー」という実感があって、健康診断に引っかかったりすると、自分が着々と死に行く存在だな、というのは感じるわけです。毎日、なんらかの不安の影なんてのが出てきます。何がどう不安かは表現できない。そもそも不安というものはそういう漠然としたもので、人生の可能性についての不安だったり、肉体の衰えへの不安だったり。それらが、ヒタヒタと後ろから追いかけてくる感じですね。普段は感じないけど、寝るときに感じたりする。もちろん、そういうことは考えないようにしているんだけど、まるっきり考えないわけにはいかない。というのも、死も老いも未来も必ずやってくることだから。


  それで思うんだけども、20代ってのは、結構がむしゃらなんです。就職とかあるし、自分が社会の中で頑張り始めたところだから。あんまり悩まない。でも、30代になると、フッと息をつくところが出てくると思う。このまま行くとどうなるのかな?って思う。ここで、人生の師匠となるような人に出会って、生き方を教わってたりすれば、あんまり悩まないんだろうけど、内藤はそうではなかったし、多くの場合もそうだと思う。みんな必死に生きてるけど、普通はそんな周りに解脱した人なんかいやしないのね。もちろん、もっともらしく人生を説く人はいるかもしれない。でも、それって本物?と思うわけです。みんな迷ってますよ。40代も50代も60代も。その中で達観した人なんて少ないと思います。


  だから、30代の迷い始める時期には、なんらかの精神世界についてのガイドが必要なんじゃないのかなと実感として思うのです。だからといって、宗教に走ってしまうという話ではないんだけど。いや、宗教に走らないからこそ、何かそういう先人の知恵みたいなのを吸収したほうがいい、という話なんです。僕らは30代といえども、まだまだ人生という世界では若輩ですから。


  まあそんなわけで、僕なんかは何かのきっかけで、斉藤一人さんの本を手に取ったんですね。最初は、普通の人生論が書いてあるなー、と思った。この人が凄いなあと思ったのは実は二冊目から。これまた、何か考えていて書店で手に取った本ですごく感銘受けた。今はどの本だったか思い出せないんだけど。それで、いいこと言うなあ、と。ちょっと不思議なことを言うけど、まあそれもアリかなあ、と。僕は科学哲学が好きで、語り得ぬことに対して偏見があったんですね。でも、実際にビジネスを探求していくと、ちょっと理屈ではない部分が出てくるんです。理屈ではないんだけど、こういうもの、というような。ちょうどそんなときで、ツイてる、といえば、ツイてる波動がやってくる、なんて妙なだなあとは思いつつも、まあそれもアリかなあと思えるようになっていたんですね。たぶん、理屈はつけられるんです。ただ、それは今はまだうまく出来ないだけでしょう。説明は妙だけど、現象としてはある、と内藤は思ったんですね。思うに、自然界やら人間界は実際のところ非常に多くのパラメーターがある巨大な函数になっていて、僕らはそれをすごく単純化して考えざるを得ないけども、実際は、例えば、風が吹けば桶屋が儲かる的なこともあるんですよね。ただ、それは複雑すぎて把握できないので、とりあえず僕らは捨象して考えることにしているだけで。


  そういうわけで、斉藤一人さんの言う、ちょっと不思議なことも、受け入れるようになって、世界がぱーっと広がったんですね。斉藤さんは、ちょっと変なことを言うけども、カルトではないですから。とても言うことは常識的。ときどき、説明が変わってるというか、そういうところが良かったですね。例えば、僕が好きなフレーズは「困ったことは起こらない」というものです。だから、僕は困ったなー、と思ったら「困ったことは起こらないんだよねえ、さてどうするかな」とかつぶやくようになりました。とすると、実際に困らない。面白いですね。カルトじゃないし、オカルトでもない。日常で起きるちょっと不思議なことなんです。たぶん、それは昔の人の知恵に近いんじゃないかな、と思います。人類の数千年蓄積された知恵。僕らは科学の子ですから、何でも科学科学とやってきたのですけども、人生の知恵はどうも科学じゃ足りない。そういうことなんだと思います。かといって、オカルトに走るわけでも、占いに走るわけでもないのです。ただ、今まで持っていなかった知恵を学んで、人生をどう生きたらいいか学んだということなんです。そして、自分が分からないことに対して、謙虚になれたんです。全部自分の頭で分かろうとすることの傲慢さに気がついたんですね。まだまだ世の中は分からないことだらけ。その中で生きていくには、分からないことを認めて、先人の知恵に従って、とりあえず現象だけでも把握することが大事なんだと思い至ったわけです。


  それで、そこから、そういうものに対する許容度が上がったので、いろいろ読みました。成功本を読んだのもそれからです。それまでは、ああいうの嘘っぱちだから読まない、とか意固地だったんですね。でも読んでみると面白い。その性質を知って読めば別に困ったことは起きないんですね。むしろ、心が熱くなれる。人生をポジティブに生きるきっかけになったりするのです。


  中村天風先生の本に出会ったのも、そうした中でした。このかたの本も面白いんですね。やっぱり少し不思議なことが書いてある。でも、凄く、ああなるほどなあ、と思える。しっくりくるんですね。ちょっと高かったけれど、日本経営合理化協会出版局から出ている1冊1万円のシリーズも買いました。ここの出版社のほかの本は知りませんが、中村先生の本はそれだけの価値があると思うので、手ごろな本でいいと思ったら、思い切って買ってみるといいと思います。手ごろな本では「君に成功を贈る」がいいです。中村先生と呼ぶのは、なんかそのほうがしっくり来るからなんですね(笑)。かくしゃくとしたおじいちゃん、という感じなので。別に何か信心しているとかそういうのではないのです。純粋な尊敬の気持ちというか。人生教えてくれてありがとう、というか。


  それで、今に至るわけです。自分の頭では分からないこともある、ということを納得したというのが大きいかもしれません。そこから他人を思いやる気持ちが出てきたような気がします。また、そこで先人の知恵をお借りするということになったために、自分自身が前の世代から次の世代へつながっていく連環のひとつで、同世代にもつながっている存在という意識が強くなった気がします。


  そこから世代論を調べるようになり、僕の人生のほとんどは生まれた時代と場所で決まっていたということに気がつきます。1971年生まれの郊外の団地育ちなのです。そこで、ああ、俺俺と言っているけれども、実際のところは、大きな流れの中に飲み込まれていただけなんだなあ、と思ったのです。似たような人は多いし、悩みも似たようなもの。自分だけと思っていたのが違って、人間は常に時代と環境にリンクされた存在なんだなあという実感に変わっていったのでした。それについては別な話になってきたので、また機会があるときに書くとします。


  というわけで、別に精神世界本は読まなければいけないってこともないけども、定評のある本を読むのは、特に、30代で迷い始めたなら読むのは悪くないよ、ということなのです。下手に宗教にはまるよりはいいでしょう。








以上。長いねー。