ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

言葉は捨てろ、態度で表せ (2002/06/08)


  ウェブではいろいろな人の書いた物が読めるが、中でも文句が多い。学校への文句から会社への文句、上司への文句、家庭での文句、店への文句など、さまざまな文句が溢れている。


  特に内藤が読んでいて気になるのは、店員やセールスマンやメーカーのサポートの人の愚痴である。こんなとんでもない客がいた!! とか、こんなこと言われた!! とかそういうもの。人気のサイトもある。やはり共感を呼ぶのだろう。だが内藤は、共感を持つ部分も確かにあるが、ん? と思うことも多い。

  よくあるのが、「丁寧に謝ったのに、こんなこと言われた!!」とか「こちらは悪くないのに、謝らさせられた!!」とか。逆に顧客の側からの文句として、こんなひどい店があった!!とか言うのだと「こんなこと言われた!!」というパターンも多くある。


  つまり、基本的に「言った」だの「言われた」が問題のほとんどを占めているのだ。もちろん、こういう場所では文字での表現なので発話された言葉が問題となるのは分からなくはないが、内藤は少し違うと思う。店員と客の間にしろ、上司と部下の間にしろ、そこでの問題は両者間のコミュニケーションの問題であって、どのような言葉が発話されたか、というのは二次的な問題だと内藤は思うからだ。


  謝ったが伝わらない、とか、ひどい文句を言われた、というのはコミュニケーションの失敗なのである。コミュニケーションの失敗の原因は双方にある。もちろん非が片方にとても偏っているケースはあるけれど、基本的にはそうなのだ。他人を変えるよりも自分を変えた方がいい。他人は変わらないから。


  この手の批判は、相手が役割どおりやってません、のような苦情に近い。上司やらお客さんやら店員が、台本に書いていないような想定外のことを言いました、と苦情を述べているようなものなのである。内藤にはそう読めるときがよくある。


  でも、対上司であろうとも、対お客さんであろうとも、対店員さんであろうとも、人と人のコミュニケーションなので、そんな台本なんてあるはずがない。あると思っているのはその当人だけだ。大切なのは心が通い合うコミュニケーションを成立させること、なのである。だから、台本どおりやってくれません、に似たような役割批判をしても無意味なのである。相手はそんな台本には従うはずがないのだから。ゆえに、言った言わないは二次的な問題に過ぎないのである。むしろそうした二次的な問題を重視しているところに内藤は疑問を感じる。


  心を通い合わせるコミュニケーションが通い合わせるのは「態度」なのだ。ボディランゲージで我々は心を通い合わせる。言葉は補足でしかない。特に、文字で表される情報は確認や駄目押しのためだけと言っていい。ほとんどの情報は、表情と姿勢と、声色と、間の取り方で伝わる。そうした非言語の部分で我々は心を通い合わせる。だからその部分で相手を拒絶すれば、言葉でいくら丁寧に「お客様」と言おうが、「申し訳ありません」と言おうが、相手には慇懃無礼としか伝わらない。本当に伝わるメッセージは態度の部分なのだ。そしてそれは我々は日常的に行っているにも関わらず、いざ自分が店員になったりサポートする人になったりすると忘れてしまうのである。


  心で拒絶していると、態度にそれが表れる。「言葉」で何を言おうと、相手にはそれがわかるから、相手はイライラして言葉での罵倒を始めるのだ。ネチネチと絡みだすのだ。顧客から説教を受けるとか叱られるというのはそういうケースがほとんどだと思う(もちろんコミュニケーション不能な顧客もいるので例外はある)。そして、言葉は何を言ったかなんて重要ではないのだ。どのように言ったか、がもっとも重要なのである。そうでなければ我々は心を通い合わせることが出来ない。


  丁寧に接しているつもりで顧客を怒らせる人間というのがいて、そういう人は必ず心が顧客を拒絶している。そして覚えた台詞を読んでいる。いくら流麗に読もうと、それではコミュニケーションは成立しないし、相手を不快にさせるだけだ。というのも、我々の心は態度に表れる。そして我々は本能的に態度で会話する。心が拒絶すれば、態度に表れ、相手に拒絶が伝わる。言葉の字面でいくら丁寧に顧客を思いやった台詞を読もうと、相手には内心と発話内容の違いにすぐ気がつく。そして顧客はそのウソを明らかにするべく追及を始める。多くのコミュニケーションのトラブルはこのようにして起きていると内藤は思っている。


  もちろん、顧客と心を通い合わせる必要はない、という考え方もあるかもしれない。「私は仕事として仕事の顔だけで接すればよくて、極端に言えば生活するためにしているのよ」みたいな人もいるみたいだ。しかし。顧客に対して心を閉ざしていては、スムーズに仕事が進まないんじゃないか? と内藤は思うのだ。接客系の仕事をしている人は接客でストレスがたまることが多いらしい。


  だがストレスが溜まる人の多くは、このようなコミュニケーションがうまく出来ない人が多いように思うのである。つまり、接客の仕事だからストレスが溜まるのではないのだ。コミュニケーション力がぜんぜん不足しているにも関わらず、コミュニケーション力が必要な職に就いているから、必要とされる能力と自分の能力とのギャップでストレスが発生しているのである。仕事がハードなのではない。問題は自分自身にあるのだ。接客系の仕事でスムースに仕事を進めるには心を開くしかない。そうしない限り、永遠にハードなストレスから逃れられないだろう。その職に就き続ける限りは。


  では、どうすれば心を通い合わせるコミュニケーションが出来るか、だが、まず、言葉を捨てろ、と言いたい。字面にこだわるのを辞めるのだ。何を言おうと、どのように言うかで決まってしまうのだから。そして、目と表情と姿勢と間の取り方で伝えるようにする。話すときは、声色と間で表現する。言葉がなくても語れる表現力をボディランゲージで持たないといけない。


  そういうことが出来るというのは、結局、自分自身の生き方が問われる。まず、相手と心通い合わせるコミュニケーションがしたいと思わなくてはいけない。そのためには、本当に心から相手のことを思わなくてはいけない。相手のことを知りたいと思わなくてはいけない。適当な言葉で相手をごまかそうという気持ちを捨てないといけない。そもそもそんな低レベルの技術では相手はごまかせていないのだ。相手は既に見破っているのだが、そんなことを追求する暇がないだけだ。そして、自分をさらけ出す覚悟を決める。相手に劣等感を持ったままでは決して自分自身をさらけ出すことはできない。劣等感の克服が必要だ。そうして初めて、相手と心が通じ合うコミュニケーションが出来るようになる。


  ここでいちおう言っておくと、顧客と心通じ合うコミュニケーション、と言っているが、その仕事での付き合いにおいて、である。別に私生活までべったりするようなことを内藤は言っていない。顧客は何か要望を抱えている。そうした要望は心通じ合うコミュニケーションでないときちんと汲み取れないんだ、と内藤は言っているのだ。台詞を読むだけのコミュニケーションのつもりでは、接客側の都合が良いサービスを押し付けるだけで、相手の要望をくみ上げるものではないのだ。そして、今求められているのは顧客の要望をキチンとくみ上げるサービスなのである。


  だから、顧客から苦情を言われて謝ってばかりでストレスが溜まる、というような人は、ほんとうにその顧客に対して心を通い合わせたのか?と思うのである。本当に心から謝ったのか?と思うのである。言葉は尽くしたかもしれない。しかし、言葉と態度が裏腹なために余計にこじれたのではないか、と思うのだ。逆に言えば、「どうして俺が謝らなければいけないのだ」と思いながら謝るからストレスが溜まるのだ。言葉と態度を一致させないことや、言葉と心を一致させないからそのギャップでストレスが溜まるのである。ストレスをためないためには、顧客がもっとシナリオ通り、マニュアル通りにしてくれと望むのではなく、自分自身の心と態度と言葉を一致させることが必要だと内藤は思うのである。


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