海のものとも山のものともわからん本の紹介サイトとして (2004年5月9日)
これからは、「海のものとも山のものともわからん本」を紹介してゆきます。ええ。決めたんです。もちろん内藤としては、役に立ったと信じて紹介するのですけど。
というのも、実は最近、このサイトについて行き詰っていました。更新していなかったのは行き詰まっていたからなんです。というのも、本読んだりそれを活かして仕事したりというので忙しいということがあったのですけど、更新することによる自分のメリットが見出せないということがありました。
やはりこうやって労力をかけて更新していくというのは、何か自分にメリットがないとダメだと思うんですよ。メリットというか、意義というか。書いたりするような表現することは、やはり自分の身体の中からあふれてくるものを伝えたい、ということだと思います。
そういうあふれる気持ちが最初はあったのですけど、なくなったんですね。どうしてかというと、本の紹介の仕方にありました。
やはりね。こうやって多数ではないけどいろんな人に見てもらうということを考えて書くとなると、内藤は緊張するんです。結構長い期間ウェブでは書いてきたけど。やっぱり緊張する。ツッコミが怖いというか。たぶんそれは内藤がもともと防衛的な性格があるところも理由だと思うのだけど、PCの画面の先にいる誰かをつい考えてしまう。いや考えずにはいられない。こういう性格は不便なんだけど、もうどうしようもない。
ちなみに、そういう防衛的な性格は、日常生活では、それなりにバランスが取れている(つもり)なんです。防衛的過ぎると具合が良くないので、自分を追い込んで冒険させるとか、本で鼓舞して冒険させるとかしながら、他方はリスクを考えていろいろ準備するとかそういうバランスを取っていたりするのです。でも、こういう書き物を見せるというのはやはり緊張するし、そんなに自由に書けないものなのです。たぶんそういう人もそれなりにいると思うので分かってもらえると思うけど。分からない人はたぶんツッコミ入れられまくりの人なんじゃないかな。
それで、コラムなんかはわりかしさらっと書けたりします。というのも、結構、別なサイトとかでも長い間書いてるし、論戦になったこともあるので、反論対策をしながら、無難でありつつ、それなりの切り口を持ったものにまとめる技が出来ているからです。
でも、こういう本の紹介は難しい。というのも、まずそういう紹介の技を持っていないから。それでなんとか50冊くらい紹介するうちに、型を作ってみたわけです。まあこれも悪くないかな、とは思う。でもね。なんか違うんだなー。本来やりたかったことじゃない。というのも、ツッコミを意識しすぎて、無難なことしか書いてないわけです。また、ツッコミ受けにくい無難な本しか選んでないんですよ。つまり、「よそいき」なんですね。だから、どうも居心地が悪い。書いていてあんまり楽しくない。そんな中では、神田昌典氏の本を紹介しているのは、内藤としては結構冒険なのです。
内藤は、ちょっと怪しげだけど、使えそうな本を本当はガンガン紹介したい。でもツッコミが怖い。この手の成功本なんかは、読者からの本の内容に対して、「実際のところ皆がそうなるわけではない」とか「皆がそうやれるなんてのは非現実的だと思います」なんていうツッコミが眼に浮かぶようですよ。それで、それに対して「まずはやってみることが大切ではないでしょうか」とか「確かに誰にでも当てはまるものではないかもしれません」なんて内藤が反論したりすると、もー、なんだか内藤としては最高に嫌なやり取りになってしまうわけです。何が嫌かといえば、そんなやり取りは始めから分かりきっていて、やり取りすることに何の意味もないようなことだからです。要はね、信じるか信じないか、という話なんですよね。しかも、人生とビジネスには究極的な答えはありません。物事は解釈しだいで変わるし、考え方でも変わります。だから、「正しいか正しくないか」なんていうことは議論しちゃダメなんです。自分の信じる神を主張しあうだけだから。神々の論争ほど不毛なことはないのです。もちろん自分の中では、正しいとかいう基準はなきゃだめですよ。でも、それを他人と議論するのは不毛なんですよ。こういうのは憧れて引き寄せられていくものであって、説得するものではないんです。
でもですよ。そんな「よそいき」なんかやることに何の意味があるのか、と思ったわけですよ。というか、身体で感じたわけです。やるきでねー、って。だって無難な本ばっかり読んでいても、内藤の人生は変わらないですよ。それじゃあつまらないでしょ。『ビジネス本マニアックス宣言』でも書いているように、内藤は本から知恵と勇気をもらうだけじゃなくて、人生や世界を変える(つまり世界観を変える)ために読んでいるわけです。20歳くらいまで自分の頭だけで考えることが正しいと思い込んでいて、他人や本の言うことを聞かず、自分の気に入った「知識」だけを取り込むことばかりしてきたおかげで、人生を遠回りしてきた内藤が、ふと気がついて、本を読みまくることで自分の凝り固まった思想を柔軟に塗り替えていくことに目覚めて今があるのです。それなら、内藤がどんな本を読んでどう感じたかをもっとストレートに表現していかないと、内藤の読書はだれかのためにも役立つかもしれない、という元々の意図が達成されないと思ったのです。いや、自分のためにも良くないのです。「よそいき」の感想が自分だと思えてしまうから。人に教えるというのは、実は自分が一番説得されますからね。だから、他人に教えるのはもっとも良い勉強法であるし、また洗脳法でもあるのです。ゆえに、嘘を教えるのはよくない。嘘を教えていると本気で嘘を信じるようになります。まあ逆に、自分の考えを改めていくのであれば、積極的に学んだことは他人に教えると良いのです。
だから、読んでくれる人のためにも、自分のためにも、「よそいき」ではない、内藤のストレートな読書をぶつけていくことが必要だと思ったのです。そのためには、ツッコミは無視しよう、と思うようになりました。はっきり言って、これから紹介していく本は、怪しげな本が結構あります。「それ本当に役立つの?」という本です。内藤も実のところわかりません。ただ、内藤は実際に試すようにしているし(全部は試していない)、内藤の経験と理解から、「使えそう」という感触を得ています。それゆえ紹介するのです。だから、1年後、2年後には、内藤も「あれはイマイチだったね」と思うかもしれません。でもそれでもいいと思うのです。だって、内藤が学んでいるのは、古典なんかじゃなくて、今のビジネスと人生だからなんですね。そんな評価が定まったころ、なんてのは遅すぎるんです。だから、今は「イイ」とか思っていても、後から「良くなかったね」ということになるかもしれない本や、「別にこれは読まなくても良いレベル」と後でなるかもしれない本でも紹介するのです。特に、内容的には重複が多いので、何年か先の必読書はずっと絞り込まれるでしょうし、そのころにはその時代にあった良い本が出ていると思います。そのときにはまたそれを読めばよいのです。
ただ、内藤がこういう方針で本を紹介していくことにしたのであれば、それは読者のかたに伝えなくてはいけません。内藤は、今日を生きるために、それに役立つ本を探しては読んでいます。その本を比較的リアルタイムで伝えていきたいと思います。それゆえ、評価が定まっていない本を紹介するので、後になってから見ると良くない本を紹介することになるかもしれません。多くの怪しい本を紹介するでしょう。でも、それらは今のところ、内藤は「使える」と判断している本なのです。そういう性質の本を紹介していくことにします。「よそいき」の本の紹介はやめます。それゆえ、「海のものとも山のものともわからん本」を紹介、というわけです。
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